富山鹿島町教会

礼拝説教

「主の前で踊る」
サムエル記下 第6章12〜23節
使徒言行録 第3章1〜10節

 月の終わりの主の日には、原則として旧約聖書サムエル記下よりみ言葉に聞いているのですが、前回は8月でした。3か月ぶりにサムエル記を読むことになりますので、今どういう所を読んでいるのかを振り返っておきたいと思います。サムエル記下に入って今私たちが読んでいるのは、ダビデが全イスラエルの王となったこと、そして、エブス人の町であったエルサレムを攻め取って、そこを王の町、即ち国の新しい首都と定めたことです。これによって、エルサレムは「ダビデの町」となり、イスラエルの代々の王の都となったのです。そして前回お話ししたことの中心は、ダビデがそのエルサレムに、神の箱を運び入れようとした、ということでした。そのことが、6章1〜11節に語られていたのです。神の箱とは、エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民が、主なる神様に遣わされたモーセの導きによってエジプトを出て、荒れ野を旅していた時に、シナイ山において神様から与えられた十戒を記した2枚の石の板を納めた箱です。シナイ山で十戒が与えられたというのは、ただ神様の掟が定められ発布されたということではありません。神様はそこで、イスラエルの民と、契約を結んで下さったのです。イスラエルはこの神様の民となり、神様はイスラエルの神となる、という契約です。つまり、主なる神様とイスラエルの民との間に、特別の交わり、関係が結ばれたのです。そのようにして神様の民となったイスラエルに与えられたのが十戒でした。ですから、話は少し横道にそれますけれども、十戒というのは、人類全体が守るべき普遍的な掟として与えられているのではありません。主なる神様の民とされた者たちが、その神様との関係の中でどのように生きるべきかを示しているのが十戒なのです。それゆえに、私たちが礼拝において十戒を唱える時にも必ず読んでいる、最初の部分が大事なのです。即ち「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」という部分です。この神様の救いの恵みを受け、契約によって神様の民とされた人々に十戒は与えられたのです。

 その十戒を納めた箱が「神の箱」ですが、それゆえにその箱は「契約の箱」とも呼ばれています。神様がイスラエルの民と契約を結んで下さった、そのことを示している目に見える印がこの箱なのです。出エジプト記の25章に、この箱の作り方が示されていますが、それによると、この箱自体は木で造られ、金で覆われていましたが、箱の蓋の部分は純金で造られていました。その蓋の部分は特別に「贖いの座」と呼ばれています。そこには、ケルビムという、翼を広げた天使のような、あるいは怪物のような姿のものが一対、向かい合って両端に取り付けられており、その翼を広げたケルビムの間の贖いの座こそ、主なる神様が民に臨み、語りかけられる場であるとされています。神の箱、契約の箱は、神様が民の間に臨み、ご自身を現される場でもあったのです。それゆえに、この神の箱を安置する幕屋、テントは、「臨在の幕屋」と呼ばれました。神様がそこに臨み、民はそこで神様にお目にかかることができる場、ということです。イスラエルの民はこの神の箱を担いで荒れ野を旅し、そして約束の地カナンに入ってからは、それは長くシロという町の聖所に置かれていたのです。ダビデに油を注いだ預言者サムエルは、このシロで神の箱に仕える祭司だったエリのもとで育てられたとサムエル記上の最初の方に記されていました。

 さて今読んでいるサムエル記下第6章では、ダビデがこの神の箱をエルサレムに運び入れようとしているわけですが、2節にあるように、この時神の箱はバアレ・ユダという所にありました。このバアレ・ユダはサムエル記上の7章1節にある「キルヤト・エアリム」の別名であると考えられていますが、神の箱が何故このキルヤト・エアリム(別名バアレ・ユダ)に置かれるようになったのかは、サムエル記上の4〜6章に語られていました。イスラエルの民は、ペリシテ人との戦いにおいて、シロに安置されていた神の箱を戦場に担ぎ出したのです。神の箱を持って来れば、神様の力がそこに働いて戦いに勝てるだろうと思ったからです。ところが結果は無残な敗北で、神の箱自体もペリシテ人に奪われてしまいました。その神の箱が不思議な導きによってイスラエルに返されてきて、最終的にキルヤト・エアリムに置かれるようになったのですが、この出来事は、神の箱の持つ意味を教えています。神の箱は、先ほど申しましたように、確かに、そこに主なる神様が臨み、民がそこで神様とお目にかかることができる場です。しかしそれは、そこにいつでも神様がおられ、その箱を持ってくることによって神様を連れて来ることができるようなものではないのです。戦場に神の箱を持って来て、それで戦争に勝とうとしたイスラエルの民はそこにおいて決定的な間違いを犯しました。彼らは、神の箱の中に神がおられ、その箱を持って来れば神様を連れて来ることができると思ってしまったのです。言ってみれば神の箱を、何かのご神体を安置した御神輿のように考えてしまったのです。しかし神の箱はそういうものではありません。その箱の中にあるのは、ご神体ではなくて、十戒の石の板なのです。ということは、神様がそこにおられるのではなくて、神様が民と結んで下さった契約を覚え、そこで与えられた十戒を民が守っていく、そういう神様との交わり、関係こそが大切だということです。民がその契約の恵みを覚えて神様を礼拝する時、そこに、神様ご自身が臨んで下さり、民と出会い、語りかけて下さる、それが神の箱の持つ意味なのです。その意味が見失われて、人々が神様を担ぎ出し、戦いのために利用しようとする、その道具として用いられてしまう時には、それはただの重たい箱に過ぎないものとなり、戦場では足手纏いになるだけなのです。神の箱がペリシテ人に奪われてしまったという出来事はそういうことを教えているのです。

 その神の箱を、ダビデは自分の町エルサレムに運び上げようとしました。しかしその時に、恐ろしい出来事が起ったということを、前回、6章1〜11節で私たちは読みました。神の箱を載せた車を引いていた牛がよろめいて箱が落ちそうになったのを、ウザという人が手を伸ばして支えたのです。するとウザは神様の怒りに打たれてその場で死んでしまいました。この出来事によって恐れを覚えたダビデは、神の箱をエルサレムに運び上げることを一旦やめにしました。神の箱はオベド・エドムという人の家に運び込まれたのです。このウザの出来事の意味について、前回、8月の時の説教においてお話しましたが、そのポイントは、神の箱を自分の町エルサレムに運び入れようとしたダビデの思いの中に、かつてそれを戦場に持ち出したあの人々と同じ思いが働いていたのではなかったか、ということです。それまではユダ族の王であったダビデが、イスラエル全体の王となり、新しい首都を定めて、もともと部族連合体であった国を束ねていこうとする、その時に、イスラエルを一つとする精神的支柱が欲しいのです。そこで彼は神の箱に目をつけた、この神の箱を王の町エルサレムに置くことによって、エルサレムはイスラエルの政治的中心であるのみならず、宗教的、精神的な中心ともなる。そのようにして、自分の王国に安定をもたらすことができる、そういう思いがダビデの中には確かにあったと思うのです。それは、神の箱を政治的目的のために利用するということです。戦場に持ち出してそれによって勝利を得ようとするのと基本的に同じことだと言えるでしょう。ウザの出来事は、そういうダビデの思いに対する神様からの警告であると言うことができます。神の箱を、自分の都合や目的のために利用しようとする時、神様はそれに対してお怒りになるのです。ダビデはこの出来事にその神様からの警告を感じ取りました。それで、神の箱をエルサレムに運び上げることをやめにしたのです。

 しかしそれから3か月が経って、ダビデは再び、神の箱をエルサレムに運び入れようとします。それが本日の箇所に語られていることです。この3か月の間に、ダビデの心に、あるいは周囲の状況に、どのような変化が起ったのでしょうか。そのことが11節に語られています。「三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された」。神の箱が急遽運び込まれたオベド・エドムの家に、主なる神様の祝福が与えられたのです。それは具体的にどのようなことだったのかは語られていません。しかし誰の目にもはっきりと分かる仕方で、この家庭は神様の祝福を受けたのです。そのことを聞いたダビデが、神の箱をエルサレムに運び上げることにしたのです。12節「神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた」。

 このダビデの心境の変化はどういうことなのでしょうか。3か月前は恐れて神の箱を運び入れることをやめにした彼が、今度は喜んでそれを運び入れようとするのは何故なのでしょうか。神の箱を迎えたオベド・エドムの家が祝福を受けた、だから同じ祝福を自分も受けようと思ったのでしょうか。そうではないでしょう。何故ならば、そのような思いは、彼がもともと神の箱をエルサレムに運び上げようとした時に抱いていた思いだからです。神の箱を自分の町に迎えればよいことがある、国の統治のために役に立つ、そういう思いで彼は神の箱を迎えようとしたのです。ウザの出来事は、そういう彼の思いに対する神様からの厳しい警告でした。神の箱を迎えれば神様の祝福を受けられる、という思いを、ダビデは打ち砕かれたのです。それでは、神様がオベド・エドムの家を祝福された、ということにダビデは何を見たのでしょうか。彼はそのことのゆえに、やはり神の箱をエルサレムに運び上げることにしたのです。それは何故なのでしょうか。

 神の箱を利用しようとする思いに対しては警告が与えられ、そのような思いなしにそれを迎え入れた者には祝福が与えられる、そのことによって、ダビデは悟ったのです。神の箱は、もともと、主なる神様の祝福の印であったということをです。神の箱は、最初の方で申しましたように、主なる神様がイスラエルの民と契約を結び、彼らをご自身の民として下さり、ご自身がイスラエルの神となって下さった、その恵みを覚えるためのものです。その契約の恵みを覚え、そこで与えられた十戒をかしこみつつ神様を礼拝する、そこに、神様がご臨在下さり、民と共におり、語りかけて下さる、そのための場が神の箱なのです。ですから、神の箱が自分たちの間にある、ということは、神様が私たちをご自分の民としていて下さり、私たちはその神様を礼拝することができる、礼拝においてその神様とお目にかかることができる、という祝福なのです。その神様の祝福を喜ぶことこそ、神の箱を迎え入れることの意味なのです。ところが、その神様の祝福を喜ぶのではなく、それを自分のために、何かの目的のために利用しようとする時、その祝福は失われ、神の箱はかえって神様の怒りをもたらすものとなってしまう、これまでイスラエルの民が、そして自分自身も度々犯してきたのはそういう過ちだったのだということに、ダビデは気づいたのです。そのことに気づいた時、ダビデはもはや何の不安もなく、恐れもなく、神の箱をエルサレムに迎えることができるようになったのです。

 彼は「喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた」とあります。この「喜び祝って」ということこそ、11節までと12節以下との決定的な違いです。11節までにおいては、神の箱をエルサレムに運び上げることの基調にあるのは喜びや祝いではありません。1節にあるように、ダビデは軍の精鋭三万を集めて、その厳重な護衛のもとに神の箱を運び入れようとしたのです。そこにあるのはぴりぴりと張り詰めた緊張です。5節には、神の箱の行列の前で楽器が演奏され、音楽が奏でられたということですが、その音楽も、荘重な、張り詰めた、一部の隙も赦されないようなものだったのではないでしょうか。そのような中で、あのウザの出来事が起ったのです。牛がよろめいたというのも、この行列の緊張感に耐え切れなくなったのかもしれません。ウザも、神の箱に間違いがあってはならない、という緊張感と責任感から、手を伸ばして支えたのです。人間が神様を何かの目的のために利用しようとする時、そこにはこのような緊張感、荘重さ、厳粛さが生まれるのです。宗教の世界にしばしば見られる荘厳さというのは、そういうものなのではないでしょうか。しかし12節以降の行列の基調にあるのは、そういう緊張や荘重さではなくて、喜びと祝いです。14節と15節の、ダビデと人々の姿にそれが現れています。「主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた」。ダビデは力の限り踊り回りました。それは喜びを全身で表現する踊りです。それは11節までのところでは考えられない姿です。軍の精鋭3万を率いて神の箱を守って運び上げようとしたダビデの姿というのは、将軍としての姿、軍事的、政治的指導者、支配者、王としての姿です。しかし今ダビデは、そのような姿をしていません。彼は麻のエフォドを着けていたとあります。エフォドというのは、祭司の着る祭服です。つまりダビデは今、王や将軍としてではなく、祭司としての姿で踊り回っているのです。祭司とは、神様への礼拝を司る者です。礼拝する者です。ダビデは今、礼拝する者として、礼拝の喜びを全身で表しつつ踊り回っているのです。それこそが、神の箱を迎えるのに最もふさわしい姿です。神の箱は、イスラエルの民に、神様を礼拝することができる、礼拝において神様にお目にかかり、み言葉をいただき、神様の民として生きることができる、その恵みの印として与えられたものだからです。この恵みは、人間が自分のために利用することはできないものです。そのようなことに対しては神様はお怒りになるのです。しかしこの恵み、即ち神様との契約の恵みを恵みとして受ける者には、それは神様の豊かな、喜びに満ちた祝福となるのです。

 ダビデは、主の前で力の限り喜び踊りました。16節の表現によれば、主の御前で跳ね踊ったのです。これはもはや、優雅な、上品な踊りではありません。跳ね回るような、踊り狂うと言った方がよいような、そういう踊りによってダビデは、神の箱を迎える喜びを表したのです。そして神の箱を天幕に安置すると、彼は神様に犠牲を献げました。17〜19節「人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分の家に帰って行った」。ここには、全ての人々と喜びを分かち合うダビデの姿が描かれています。神の箱によって示されている、神様の契約の恵み、神様を礼拝することができる喜び、神様と共に生きることができる喜びを、彼はイスラエルの全ての人と分かち合おうとしているのです。

 しかしダビデの妻であったミカルだけは、その喜びを共に分かち合おうとはしませんでした。彼女は、16節にあるように、主の御前で跳ね踊るダビデを見て、心の内にさげすんだのです。また20節で彼女はこう言っています。「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように」。ここからわかることは、ダビデのあの踊りは、あられもない姿での踊りだったということです。彼は麻のエフォドを着けて踊ったと先ほどありました。それはひょっとすると、裸の上にそれだけを身につけて踊ったということだったのかもしれません。いずれにしても、激しく跳ね踊っている中で、ダビデは普通は人前で露わにしないような裸をさらしたのです。彼の踊りは、裸踊りになったのです。踊り狂うと言った方がよいような踊りだったというのはそういうことです。そういうダビデの姿を見て、ミカルはさげすみ、「今日のイスラエルの王はなんとご立派でしたこと」と皮肉を言ったのです。このミカルは、サウル王の娘です。王女として、お上品に育てられたということがあったのかもしれません。しかしいずれにしても、神の箱を迎える喜びに踊り狂うダビデの姿は、王としての威厳や品位などかなぐり捨てたものだったのです。

 ミカルの言葉に対してダビデはこう答えました。「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう」。これは、神の箱を迎えるということの本当の意味に目覚めた人の言葉です。主なる神様が、「お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった」、その神様の選びの恵みをダビデは見つめています。主なる神様が、サウルやその一族の誰でもなく、ダビデを、イスラエルの王として立てて下さったのです。ダビデは、父エッサイの末っ子であり、サムエルがその息子たちに会いたいと訪ねて来た時に、息子たちの数にも入れられていなかった者だったのです。そのダビデを神様は選んで下さり、その後の様々な紆余曲折の中で、常に共にいて導いて下さり、今イスラエルの王として下さったのです。その神様の恵みの中に今自分はある、そのことと、イスラエルに神の箱が与えられていることとは、実は同じことなのです。神の箱は、神様が多くの民の中から、イスラエルを選んで下さり、ご自分の民として契約を結んで下さり、その民を導いて奴隷の苦しみから救って下さり、約束の地を与えて下さった、その恵みの印であり、この神様の選びの恵みによって、今この民は神様を礼拝することができる、この神様との交わりに生きることができる、その喜びが、祝福が与えられていることを示しているのです。その大いなる恵みの神である主のみ前で喜び踊る、それがダビデの、そして神の民イスラエルの信仰なのです。本日共に読まれた新約聖書の箇所、使徒言行録第3章には、ペトロとヨハネとが、エルサレムの神殿の「美しい門」のところで、生まれながら足の不自由だった人を癒したという出来事が記されています。ペトロはこの人にこう語ったのです「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。すると彼はたちまち、踊り上がって立ち、歩き回ったり踊ったりして神を賛美したのです。私たちに与えられているのは、この、ナザレの人イエス・キリストの名による救いです。神様の独り子イエス・キリストが、人となってこの世に来て下さり、私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さり、復活して罪の赦しと新しい命の恵みを私たちに与えて下さっているのです。この主イエスによって私たちは、神様の選びの恵みを確信し、神様を礼拝し、神様と共に生きる喜びを与えられているのです。主イエス・キリストこそ、私たちにとっての神の箱、贖いの座、神の臨在の場です。この主イエスによって、私たちは、様々な悩みや苦しみによって、自らの罪とその悲惨な結果によって、そして病や死の苦しみによっておしつぶされているところから、立ち上がることができるのです。そして踊り回ってその喜びを表していくことができるのです。この喜びと感謝の踊りこそ私たちの信仰です。私たちは、神の箱の前で、主イエス・キリストの救いの恵みの前で、喜び踊るのです。その喜びの踊りは、世の人々からは軽蔑され、卑しめられるようなことかもしれません。信仰に生きることは、決して、世の人々から尊敬されたり、あの人は立派な人だと思われることではないのです。恥かしげもなく何を馬鹿なことを、と思われることもあるでしょう。何が楽しくて毎週日曜日に礼拝になんか行くのか、と思われることもあるでしょう。しかし私たちはここで、この礼拝において、何のとりえも、立派さも、正しさも持ち合わせていない私たちを選んで下さり、神様の民として下さった主イエス・キリストの父なる神様の語りかけを受け、その神様と共に生きる者となるのです。そしてこの主なる神様のみ前で、喜び踊りつつ生きていくのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2001年11月25日]

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