富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(34)

 旧約聖書創世記第3章を読みながら、「聖書の人間理解」についてお話しています。最初の人間アダムとエバが、神様の命令を破って禁断の木の実を食べてしまった、その罪に対して神様が人間に与えた罰についてお話ししてきました。人間は、自らの罪のゆえに、神様からの罰を背負って生きている、それが、女性においては、出産の苦しみであり、男性とのねじ曲がった関係によって生じる苦しみであり、男性においては、労働の苦しみ、生活のための労苦であると語られていたのです。人間の人生は、このような苦しみに満ちたものであり、そしてついには皆、死んで土の塵に返っていくのです。

 そういう人間に対する罰と並んで、もう一つここで注目しておきたいことがあります。それは、3章17節にある「お前のゆえに、土は呪われるものとなった」という言葉です。人間の罪の結果、人間が罰を負う者となっただけではなくて、土、大地、つまりはこの世界全体、被造物全体が呪いを受けたのです。第1章に語られていたように、人間は、この世界、被造物を、神様のみ心に従って管理するという役割を与えられているものです。その人間が神様に背いて罪に落ちた結果、この世界が、被造物全体が、正しく管理されなくなり、そのための苦しみを負うようになったのです。そのことは、今日の環境汚染、地球温暖化などにはっきりと現れてきています。私たち人間が、この世界、地球をどのように管理していくか、が今深刻な問題として問われているのです。聖書の書かれた当時は、そのような問題はまだなかったわけですが、しかし聖書は、人間と自然、被造物全体との関係の本質をこのように見抜いているのです。

 新約聖書の、「ローマの信徒への手紙」の第8章20節に「被造物は虚無に服していますが」という言葉があります。またその先の22節には、「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」とも語られています。被造物全体が虚しさの中でうめき苦しんでいる。それは人間の罪、神様との関係の破れによることなのだと聖書は語っているのです。

牧師 藤 掛 順 一

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