富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(11)

旧約聖書、創世記第18章にある、イスラエル人の最初の先祖となったアブラハムが、悪徳の町ソドムの人々のために神様にとりなしをし、その中に十人の正しい人がいるなら、町全体を滅ぼさないという約束を得たということを前回お話ししました。今回は次の第19章についてです。アブラハムのもとを訪ねてきた二人のみ使いは、ソドムの町へ行きました。そこに十人の正しい人がいるかどうかを調べるためです。アブラハムの甥であるロトが彼らを迎えましたが、ソドムの町の人々は、旅人に身をやつしたこのみ使いたちに対してすら、ひどいことをしようとしました。ソドムの町には結局、十人の正しい者もいなかったのです。み使いはロトに、「神様がこの町を滅ぼされる、だから明日の朝、親族を連れて町を逃げ出しなさい、決して後ろを振り返ってはならない」と言いました。ロトはそのことを早速、二人の娘たちが嫁いだ夫たちに告げましたが、彼らは本気にしません。結局、ロトとその妻、そして二人の娘たちのみで逃げ出すことになりました。しかしその時、ロトの妻は後ろを振り向いたので、その場で塩の柱になってしまったと語られています。ソドムの町があったのは、今日の死海の沿岸です。死海は塩分が非常に濃い湖で、その周囲には岩塩の固まりの岩が沢山あります。ロトの妻はその一つになってしまったというのです。

ソドムともう一つの町ゴモラはこのようにして、神様の怒りによって滅ぼされました。しかしその滅びの中から、ロトの家族が救い出されたのです。神様は人間の罪に対してお怒りになり、裁きを行なわれる、しかしまたそこに、救いの道、逃れの道を備えていて下さるということがここにも語られています。問題は、その救いの道、逃れの道を見出すことができるかどうかです。ロトの娘たちの夫たちは、神の怒りによる裁きを本気にしませんでした。それによって彼らはその道を見失ってしまったのです。またロトの妻は、後ろを振り返ったためにその道の半ばで倒れました。後ろを振り返るというのは、自分が残してきたその町の生活、古い、罪の中での歩みをなつかしむことでしょう。神様が備えて下さっている細い救いの道を、後ろをふりかえることなく、前を向いてひたすら進んでいくことをこの話は教えているのです。

牧師 藤 掛 順 一
[1999年8月23日〜9月5日]

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