礼拝説教「わたしたちの王として」詩編 第2編1〜12節 マタイによる福音書 第2章1〜12節 マタイによる福音書の語るクリスマスの出来事を読み進めています。「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」。これが、マタイの語る主イエスの誕生です。ルカによる福音書では、主イエスの誕生の時の様子がもう少し詳しく語られています。主イエスはベツレヘムの馬小屋でお生まれになった、という話です。もっともルカも、馬小屋と言っているわけではありません。生まれた主イエスが飼い葉桶に寝かされたとあることから、馬小屋と言われるようになったのですが、いずれにせよこのことは、主イエスの生まれた場所が、宮殿や立派なお屋敷の中ではなく、いや、普通に人間が寝泊まりする場所ですらなかったということを示しているのです。そして、主イエスがどうしてそのような場所で生まれなければならなかったかという事情をルカは語っているのです。しかしマタイは、そのようなことを一切語りません。飼い葉桶も馬小屋も出てきませんし、そもそもそこがどんな所だったかということは全く語られていないのです。マタイが語っているのは、それがユダヤのベツレヘムであったことと、ヘロデ王の時代であったということ、この二つだけなのです。この二つのことだけでは、何もわからないではないかと私たちは思うかもしれません。しかしマタイ福音書を書いた人は、主イエスの誕生を語るのに、これだけで十分だと考えたのです。彼だって、その時の様子はどうだったか、そこはどんな所だったかということを、いろいろな人から伝え聞いて記すことはできたでしょう。しかし彼はそういうことはいらないと思ったのです。ユダヤのベツレヘムで、ヘロデ王の時代にお生まれになった、主イエスの誕生について伝えるべきことは、この二つのことで尽きていると彼は思ったのです。この二つのことの持つ意味はそれほどに大きいのです。その意味を私たちも読み取っていきたいと思います。 まず、ユダヤのベツレヘムで、ということです。こちらを先に取り上げるのは、聖書の原文の語順では、こちらの方が先に出てきているからです。主イエスがベツレヘムでお生まれになったことは、ルカ福音書も共に語っているわけですが、マタイはそのベツレヘムに「ユダヤの」という言葉をつけ加えています。そこがミソであると言えるでしょう。それは、ユダヤ以外の地に住む人々に、ベツレヘムという町はユダヤにあるのだ、と教えるため、という意味もあるかもしれません。例えば私たち日本人にはそういう意味を持つと言えるでしょう。しかしマタイがこれを書いたのは、そういう、地理的事情に詳しくない人への親切のためなどではありません。「ユダヤのベツレヘム」という言い方はもう一度、5節に出てきます。メシア、即ち神様が約束して下さった救い主はどこで生まれるのかとヘロデ王に問われた祭司長、律法学者たちが、「それはユダヤのベツレヘムです」と答えているのです。そしてその答えの根拠となっているのが、次の6節に引用されている旧約聖書の言葉です。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである」。この預言の言葉のゆえに、メシアの生まれる所はベツレヘムだと言われているのです。「ユダの地ベツレヘム」、このユダというイスラエルの一部族の名前から、「ユダヤ」という言葉が生まれ、それが「ユダヤ人」という、イスラエルの民全体の呼び名になっていったのです。「ユダヤのベツレヘム」という言い方は、この預言を意識しています。主イエスは、旧約聖書において神様が約束して下さっていた救い主としてお生まれになった、そのことを、この「ユダヤのベツレヘムで」という言い方が示し表している、とまずは言うことができるでしょう。 この6節に引用されているのは、ミカ書5章1節です。ところが、そこをご覧になるとわかりますが、「ユダの地」という言葉はありません。どうもこの「ユダの地」という言葉は、マタイがここを引用する際に書き変えて加えたもののようです。イスラエルの民の救い主がベツレヘムから現れるということはミカ書が確かに語っているのですから、別にそんな書き換えはしなくても、主イエスがベツレヘムで生まれたことを語れば、この預言の実現であることが明らかになるのですが、マタイはそこにどうしても「ユダヤの」という言葉を入れたかったようです。何故彼はそれほどまでに、「ユダヤの」という言葉にこだわったのでしょうか。「ユダヤ」という言葉が使われている所が本日の箇所にもう一つあります。2節です。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。東の国から来た、占星術の学者たちがこう言ったのです。彼らは、「ユダヤ人の王」の誕生を告げる星の現れるのを見た。それではるばる砂漠を渡って、その王を拝みにやって来たのです。マタイが、「ユダヤの」という言葉にこだわり、主イエスが生まれたのは「ユダヤのベツレヘム」だったとことさらに語るのは、この学者たちの言葉とのつながりのためだと言えるのではないでしょうか。主イエスがユダヤのベツレヘムで生まれた時に、ユダヤ人の王の誕生が、学者たちによって告げられたのです。つまり主イエスは、ユダヤ人の王として、ご自分の国ユダヤにお生まれになったのです。ユダヤ人の王が、ユダヤの国に誕生した。数日前、「雅子さまご懐妊」というニュースが新聞の一面を飾り、国民全体がそれを喜び祝っているというような論調で語られていましたが、言ってみればそれと同じことが、ユダヤの国で起こったのが主イエスの誕生だったのだということを、マタイは強調しているのです。 ユダヤのベツレヘムという言い方にそのような意味を見いだしていく時に、もう一つのこと「ヘロデ王の時代に」ということの持つ意味もわかって来ます。主イエスは、ユダヤ人の王として、ユダヤの国にお生まれになりました。しかしそのユダヤの国を、その時、別の王が支配していたのです。主イエスは、ヘロデという王の支配の下にお生まれになったのです。ヘロデ王は、もともと純粋なユダヤ人ではありません。イドマヤと言って、ユダヤ人と、旧約聖書に出てくるエドム人の混血の民族の出身です。そのヘロデがユダヤの王となっているのは、当時この地を実質的に支配していたローマの後ろだてによることです。ローマはこの時代、初代の皇帝と呼ばれるアウグストゥスの下に、地中海世界全体におよぶ支配を確立していました。そのローマにうまく取り入る形で、ヘロデはユダヤの王としての地位を維持していたのです。しかしそういうわけですから、彼の地位は非常に危ういものです。そのために彼は、自分の王としての地位を脅かす者、あるいは脅かす恐れのある者に対して極端に警戒していました。自分の親族をも、次々に殺していったと言われます。そのように、自分の王位を守ろうと必死になっているヘロデのもとに、ユダヤ人の王の誕生の知らせが届けられたのです。3節に、「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた」とあるのは当然のことです。そこで王は、祭司長、律法学者たちを集めて、メシアが生まれる地はどこか、と問うのです。彼らはたちどころに、それはベツレヘムですと答えます。聖書のどこにどんな預言があるか、彼らは全て頭に入っているのです。そこでヘロデは、学者たちをベツレヘムに遣わします。「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」。しかしそれは、王として生まれた幼子を見つけ出して殺してしまうための口実でした。ユダヤ人の王として生まれた方を拝むために、礼拝するためにやって来た学者たちを、ユダヤの王ヘロデは、その王を殺して自分の王座を守るために利用しようとしているのです。「ヘロデ王の時代に」というのは、このような中にということです。主イエスはこのような王の支配する時代にお生まれになったのだということを、マタイは強調しているのです。 このことを通してマタイが示そうとしていることは何でしょうか。主イエスが生まれた時代はひどい時代だった、主イエスにはお気の毒だった、もう少しいい時代、いい王の下でだったら、あんなに苦労せずにすんだものを、ということでしょうか。そうではないでしょう。この「ヘロデ王の時代」は、他の時代はそうではない、この時だけの特別な時代ではないのです。私たちが生きているこの世は、常にこの「ヘロデ王の時代」です。ヘロデ王の時代でなかった時代など、世界の歴史の中にないし、今現在の、私たちのこの社会もまた、ヘロデ王の時代なのです。それでは、現在のヘロデ王とはいったい誰か、それは天皇でも総理大臣でもなくて、私たち一人一人です。私たち一人一人が、それぞれに、小さなヘロデとして、自分という王国の王であろうとしている。そして、その王座を、誰にも明け渡すつもりはない。自分の王位を脅かそうとする者は徹底的に排除しようとしているのです。 ユダヤ人の王としてお生まれになった主イエスによって不安を覚えたのはヘロデだけではなかったということは、3節に語られています。「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」。ヘロデが不安を抱くのはわかります。しかしエルサレムの人々も皆同様だった。ユダヤ人の王の誕生の知らせを聞いた人々は皆、不安を抱いたのです。彼らは自分が王であるわけではありません。そして、ヘロデは先程申しましたような王なのですから、その支配を皆喜んではいないのです。ヘロデなんて早く失脚すればいい、ぐらいに思っているのです。それなのに、新しい王の誕生の知らせに不安を抱く。それはやはり、彼ら一人一人が、この知らせの中に、自分にとっての危機を感じたからです。彼らはヘロデに支配されていましたが、ヘロデのことを本当の意味で王とは思っていません。逆らえば殺されてしまうから一応従っているだけです。ですからヘロデの下では、本質的には自分が王であることができるのです。ところが、学者たちが告げたユダヤ人の王、これは、ヘロデのような人間の力によって支配する王ではありません。神様が遣わす、神の力と権威をもって支配する王です。本日、詩編の第2編が共に読まれましたが、そこに、主なる神がこの地上に、ご自分が油を注がれた王を立てることが歌われていました。そのような王が来たら、私たちはもはや自分が王であることはできないのです。形だけ従っておいて実は自分の好き勝手をしていくことはできないのです。主イエスの誕生とはそういうまことの王の到来であり、それゆえに、自分が実質的に王であろうとしている私たちに、「すべての王よ、今や目覚めよ。地を収める者よ、諭しを受けよ」という警告を与える出来事なのです。 ユダヤの、あるいはユダヤ人のという言葉の持つもう一つの意味をもここで考えておかなければなりません。ユダヤ人というのは、ユダヤの国の人々とか、ユダヤ民族というような、ある地理的、民族的な概念ではありません。ユダヤ人とは、神様の民ということです。6節の引用の最後の行に「わたしの民イスラエル」という言葉がありますが、これがユダヤ人です。ユダヤ人は神様の民であり、神様に従う者たち、神様との特別な交わりの内に歩む人々なのです。そうであるならば、ユダヤ人たちを支配する王は、神様が立て、遣わす者であるのが当然です。そのユダヤ人たちが、神様から遣わされた王の誕生の知らせを聞いて不安を覚えるとは何事でしょうか。また4節には「民の祭司長たちや律法学者たち」とありますが、この民というのも神の民ユダヤ人のことです。その民の祭司や律法学者たちは、ユダヤ人が、神様の民として、神様に従って生きるために立てれているのです。ところが彼らがここでしていることといえば、ヘロデに、救い主の誕生の場所を教えるというだけのことです。それは確かに聖書の正しい知識に基づく正解だったのですが、それはヘロデがその王を殺してしまおうとする片棒をかつぐだけのことでした。また、本当ならば彼ら自身が真っ先にこの王を拝みに行き、民と共にその誕生を喜ばなければならないはずなのに、彼らはそんなことは全く考えていません。つまり彼らは、神様の民の先頭に立つべき者であるのに、その務めを全く放棄してしまっているのです。神様に従う神様の民であるはずのユダヤ人たちが、その先頭に立つはずの祭司や律法学者たちが、神様から遣わされたユダヤ人のまことの王を迎えようとせず、受け入れようとしない、むしろかえって不安を覚え、その王を抹殺しようとする、そういう神の民の姿がここに描かれているのです。 そしてこのユダヤ人、神の民の姿と対照的なのが、東の国からはるばるやって来た、占星術の学者たちです。彼らは勿論ユダヤ人ではありません。ユダヤ人たちが、神の民ではないと蔑んでいた異邦人です。しかも彼らは占星術の学者だった。占星術と言っても、雑誌などに載っている「何々座の人の今週の運勢」などといういかがわしいものではなくて、天体の動きを観測する、この当時の学問の最先端を行くものです。しかし私たちが言うところのいわゆる自然科学とは違って、そこに魔術的な要素、占いの要素が加わっているのです。そういう魔術や占いは、イスラエルにおいて厳しく禁じられていましたから、そういう意味でも彼らは、ユダヤ人たちにとっては、厭うべき、決して尊敬はできない存在です。しかしそのような、神の民でない、神の禁じておられることをしているような人々が、ユダヤ人の王の誕生を知り、その王を拝むために、はるばる遠い道を旅してきたのです。「拝む」と訳されている言葉は、ひれ伏して拝む、礼拝するという意味です。つまり彼らはユダヤ人の王をまことの王として拝み、礼拝をするためにやって来たのです。それは本来、神の民であるユダヤ人が真っ先にしなければならないことでした。そのことを、この異邦人の学者たちがしたのです。マタイはこのように、異邦人の学者たちと、神の民であるはずのユダヤ人たちとが、神様への礼拝の姿勢において全く逆転してしまっていることを描いているのです。 どうしてこのような逆転が生じてしまうのでしょうか。それは、ユダヤ人たちが「ヘロデ王の時代」を歩んでいるからです。それは、彼ら一人一人がそれぞれ小さなヘロデになって、自分の王位を誰にも渡さないという思いで生きているということだと先程申しました。神様の民として生きているはずの者たちも、神様の代わりに自分が王になってしまうことによって、このヘロデ王の時代に入ってしまうのです。そうなると、本当の礼拝は失われてしまいます。ヘロデは「わたしも行って拝もう」と言いました。この「拝もう」も礼拝するという言葉です。ヘロデだって礼拝ぐらいするのです。しかしその礼拝は、見せ掛けの礼拝、まことの王を抹殺して自分がいつまでも王であろうとするための礼拝です。私たちはそんな礼拝をしていないと言えるでしょうか。私たちがこうして行っている礼拝が、実は形だけのもので、神様を敬い従っているような見せ掛けのもとに、実は自分がどこまでも王であり続けようとしている、まことの王として来られた主イエスを私たちが排除し、抹殺してしまうようなことがここで起こっていないと言えるでしょうか。私たちがこのクリスマスに、主イエスをまことの王として迎え、そのみ前にひれ伏し、自らの王座を主イエスに明け渡していくということがないならば、私たちのクリスマスの祝いは、ヘロデの礼拝と何ら変わるものではなくなってしまうのです。 そのユダヤ人たちやヘロデと対照的に、まことの礼拝を捧げたのが、占星術の学者たちでした。彼らは、自分たちの国で、自分たちの働き、生活を営んでいる中で、ふとしたことから、ユダヤ人の王の誕生を知ったのです。そしてそれを知った彼らは、自分たちの日常の生活から立ち上がり、まだ見ぬ世界へと旅に出たのです。ユダヤ人の王にお目にかかり、礼拝をしようとしてです。それは、教会に行ったことのない人が、クリスマスのことを聞いて、ひとつ教会のクリスマス礼拝に行ってみようと腰を上げることと通じるかもしれません。そのような思いで旅立った彼らは、最初はユダヤ人の王の町エルサレムに来て、新しく生まれた王様はどこですかと尋ねたのです。しかしエルサレムにいたのは、まことの王ではない、むしろまことの王の到来を常に恐れ、自分の王座を守ることしか考えていないヘロデでした。また、神の民であるはずのユダヤ人たちも、自分たちのまことの王の誕生を喜んではおらず、むしろ不安を抱くばかりでした。そのような神の民の姿は、学者たちにとって幻滅であり、失望だったことでしょう。ここではなくベツレヘムへ行け、ということだけを教えられてまた旅だった彼らは、しかし不思議な星の導きによってついに幼子イエス・キリストを探し当てたのです。9、10節、「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた」。「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」。それは、本当に礼拝すべき方をついに発見した者の喜びです。自分が王であろうとする者には、恐れや不安ばかりが募っていくのに対して、まことの王の前にひれ伏し礼拝しようとする者には、大きな喜びが与えられるのです。そして彼らは、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。この三つの宝についてはいろいろな解釈がありますが、いずれにせよ、それらが彼らの最も大切にしていた宝であったことは確かでしょう。つまり彼らは、自分が最も大切にしていたものを主イエスに献げたことによって、自分自身を献げたのです。主イエスを、自分の王として迎え入れたのです。後に生まれた伝説においては、この人々は東の国の王たちであったとも言われるようになりました。自ら王であった彼らが、その王座を降りて、まことの王である主イエスの前にひれ伏し、自らの王としての印を献げたのです。それが、まことの礼拝です。そしてそこには大きな喜びが与えられる。クリスマスの喜びは、この学者たちと共に私たちもまことの王なる主イエス・キリストのみ前にひれ伏すところにこそ与えられるのです。 しかしまた同時に言えることは、私たちは、教会に集い、主イエス・キリストを信じる神の民とされた者であっても、なお小さなヘロデであり、主イエスの誕生に不安を抱くユダヤ人たちの姿が私たちの姿であるということです。それゆえに私たちは、あの学者たちのまことの礼拝に連なることのできない者であり、あの大きな喜びにあふれることのできない者であると言わざるを得ません。クリスマスの出来事とは、そのような私たちのまん中に、神様の独り子、救い主なる主イエスが来て下さったということです。そして主イエスは、小さなヘロデである私たちの罪によって、十字架にかけられ、この地上から抹殺されたのです。しかしその死は、私たちの罪を赦して下さるための、贖いの死、私たちの罪を背負っての、身代りの死でした。この十字架の死と、そして復活とによって、主イエスは、私たちのまことの王となって下さったのです。このまことの王のご支配は、ご自分の命を捨てて私たちの罪を赦して下さる恵みによるご支配です。クリスマスの出来事は、そのまことの王のご支配の始まりを告げています。ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった主イエスが、私たちの罪のために十字架にかかって死んで下さり、復活して下さった、その恵みのゆえに、私たちも、まことの王なる主イエスのみ前にひれ伏し、礼拝する喜びにあずかることができるのです。
牧師 藤 掛 順 一 |