富山鹿島町教会

礼拝説教

「教会の広さと狭さ」
詩編 第1編1〜6節
コリントの信徒への手紙一 第16章5〜24節

コリントの信徒への手紙一の締めくくりのところを読んでいます。先週は、22節の「マラナ・タ」という言葉に絞ってみ言葉に聞きました。本日は、5節以下の全体を見ていきたいと思います。
5〜12節には、パウロのこれからの計画が語られています。8節にあるように、パウロは今エフェソにいます。パウロは3回に亘って大伝道旅行をしましたが、今その第3回目の途上にあります。第3回伝道旅行において、パウロはエフェソに2年以上留まって伝道をしました。エフェソはいわゆる小アジア、今のトルコの西のはじにあり、エーゲ海を挟んでギリシャと向かい合っています。パウロはこの町で伝道をしながら、第2回伝道旅行において彼が土台を据えたギリシャの諸教会とも連絡を取り合い、その中のコリント教会の様子を特に心配してこの手紙を書いたのです。そして彼は、この後ギリシャの諸教会を訪れたいと願っています。5節に「わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます」とあるのはその思いです。マケドニアはギリシャの北部です。エフェソから小アジアを北上し、エーゲ海の北部を渡ってマケドニアの諸教会を訪ね、それから南下してギリシャの南部、アカイア州の中心都市であるコリントを訪ねる、そういう計画を彼は抱いているのです。そして、コリントではじっくりと滞在して教会の人々と語り合いたい、と願っています。7節にその願いが語られています。「わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています」。パウロがこのように思うのは、私たちがこれまでこの手紙で読んできたように、この教会には、信仰の上でも、生活においても、様々な問題や対立があったからです。それらのことをふまえてこの手紙を書いたパウロは、自分自身も一刻も早くコリントへ行って、教会の人々に直接語りかけたいと思っているのです。

けれども、8、9節には、その思いとは違うことが語られています。「しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです」。「五旬祭」とはペンテコステです。それは春の終りから夏の始めの時期です。この手紙が書かれたのがいつごろの季節かはわかりませんから、「五旬祭まで」というのがあとどのくらいの期間なのかはっきりしませんが、いずれにせよパウロは、今すぐにはコリントに向けて旅立つことはできない、と言っているのです。コリントの教会のことを思えば、すぐにでも向かいたいところだが、今はそれができない、それは何故かというと、「わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるから」です。「自分の働きのために大きな門が開かれている」。それは、このエフェソでの、またエフェソを拠点とした小アジア地方での伝道において、まだまだ多くの実りが得られそうだ、ということでしょう。つまり、自分の働きが生かされる場がここにある、ということです。だから今はこの場を離れることができない、と彼は言っていると思われるのです。「わたしの働きのために大きな門が開かれている」というと、そのように、自分が成果をあげることができる場がここにある、という感じがするわけですが、しかしそこには同時に、「反対者もたくさんいるからです」とあります。パウロがなおしばらくエフェソに滞在しようとしているのは、よい働きができ、成果をあげることができるからというだけではなく、「反対者たち」による妨害があるからでもあるのです。つまり、パウロは決して、エフェソに留まった方が楽に伝道ができて、しかも成果が上がる、と考えてここに留まろうとしているのではないのです。エフェソに留まることは、多くの反対者たちに囲まれる困難な戦いの場に身を置くことです。彼はその困難の中に敢えて留まろうとしているのです。そして、その困難の中にこそ、「わたしの働きのために大きな門が開かれている」と言っているのです。ですから彼は、ここに留まる方が楽だから留まると言っているのでもないし、留まる方が困難だから敢えてその困難な方を選ぶ、と言っているのでもありません。彼は、困難の中に大きな働きの門が開かれているのを見ているのです。それは、苦難を通してこそ栄光がある、という、英雄的な、そして悲壮な覚悟ではなくて、彼はそこに、神様の導きを見ているのです。「大きな門が開かれている」、それは、門を開いて下さっている方がおられるということです。自分が、苦難を克服して門をこじあげると言っているのではないのです。主なる神様が門を開いて下さっているから、彼はそこへと進んで行くのです。ですからパウロがなおしばらくエフェソに留まろうとしているのは、それが楽だからでもないし、困難だからでもありません。主がここに門を開いて下さっている、その主の導きに彼は従っているのです。パウロの伝道の歩みは常にそのようなものでした。彼はしばしば、自分がこうしようと思っていた計画の変更を余儀なくされたのです。そのことを彼は主の導きとして、主がこのことを禁じて、他のことを自分に命じておられることとして受けとめ、その導きに従って歩みました。第2回伝道旅行においても、そのような計画変更、主によって道を変えられることを通して、彼はギリシャに渡り、そしてコリントに教会が生まれたのです。全ては主の導きでした。パウロは、主が禁じられた道を捨て、主が許してくださった道を歩んできたのです。このたびのエフェソ滞在もそれによることです。そして彼のこれからの計画も、そういう制約の下にあるのです。7節に、「主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したい」と言われているのはそのことを表しているのです。

さて10節以下には、テモテのことが語られています。テモテは彼が第2回伝道旅行の途中、小アジアのルステラの町で出会った若い信仰者で、パウロは彼を伝道旅行に伴い、後輩の伝道者として育てていたのです。今、主の導きによってなおしばらくエフェソに留まるパウロは、このテモテをコリントに先に遣わそうとしています。そしてそれに際して、若い伝道者テモテを、コリント教会の人々がちゃんと受け入れ、相応しく応対するように求めているのです。11節には「だれも彼をないがしろにしてはならない」とあります。前の口語訳では「だれも彼を軽んじてはいけない」となっていました。若い伝道者を、その若さのゆえに、ないがしろにしたり、軽んじてはならない、それは、ともすればそういうことが起ったということでしょう。若くても、伝道者を尊重しなければならない、それは、ちやほやして、下へも置かぬ接待をせよということではありません。10節で彼は「わたし同様、彼は主の仕事をしているのです」と言っています。伝道者を尊重するというのは、その負っている主の仕事、口語訳では「主のご用にあたっている」、そのことを尊重することです。主のみ言葉を宣べ伝え、教会を導くという主のご用にあたっている、そこにおいて、テモテと私は同じなのだ、若い者であっても、その負っている働きのゆえに、彼を尊重しなさいとパウロは諭しているのです。そのことによって彼が求めているのは、教会が、主のみ言葉を尊重し、それに従っていくことです。事は一伝道者への処遇の問題ではないのです。

12節には、もう一人の伝道者、アポロのことが語られています。アポロも、以前にコリントで伝道した人の一人です。そしてこの手紙の初めの方にあったように、コリント教会には、パウロ派、アポロ派などという派閥、グループが出来てしまいました。アポロはその一つのグループにかつがれてしまったのです。コリントにおいてはそのように、パウロ派とアポロ派が対立しているようだが、当の本人たちはそんな対立関係にはない、ということをパウロはここで語っています。パウロにとってアポロは「兄弟アポロ」です。そして彼はアポロに、コリントに行くようにとしきりに勧めています。彼がアポロと対抗してパウロ派の勢力拡大を願っているならば、そんなことを勧めるはずはありません。またアポロの方も、そのように勧められても、今コリントへ行く意志は全くないのです。それは、アポロも、自分がコリントへ行くことによって、派閥対立を煽るようなことになってはいけない、と思っているということでしょう。つまりパウロはここで、自分もアポロも、派閥の頭としてかつがれることを喜んでいないし、彼らの間にそんな対立関係はないのだから、コリント教会の人々もおかしな内部対立をやめて、主のみ言葉に聞き従うことにおいて一致してほしい、と語っているのです。

このように、二人の同僚の伝道者のことを語るパウロの言葉は、コリント教会のための配慮に満ちています。その配慮はさらに15節以下にも継続していくのです。15節には「ステファナの一家」について語られています。彼らは「アカイア州の初穂」であるとあります。アカイア州は、先程申しましたようにギリシャ南部の地域名で、コリントがその中心です。その初穂というのは、コリント伝道の最初の実りということでしょう。それは、必ずしも時間的に最初に洗礼を受けたということではないかもしれません。しかしこの一家は、「聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれた」のです。「聖なる者たち」というのは教会の信仰者たちのことです。この手紙の1章2節にあったように、洗礼を受けて教会のメンバーとなった者たちは皆「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々」なのです。その教会のメンバーたちのために、この一家は労を惜しまず世話をした、そういう奉仕において、第一に記憶されるべき人々である、という意味で「初穂」と呼ばれているのでしょう。そういうステファナの一家の名があげられ、16節では「この人たちや、彼らと一緒に働き、労苦してきたすべての人々に従ってください」とあります。ここをこのような日本語で読むと、このように献身的に奉仕しているこの人たちは偉い、あなたがたはこの人たちを尊敬し、その指導に従うべきだ、というふうに感じられます。しかしここを原語で読むと、それとは違う意味が見えてくるのです。まず「聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれた」と訳されているところですが、ここを直訳すると「聖なる者たちへの奉仕に自分を任命した」となります。その「任命する」という言葉は、もともとは軍隊における務めにつく、つまり軍隊の命令系統の下に身を置くことを意味する言葉です。ステファナの一家は、教会の人々に仕えるという任務へと、自分たちを、自発的につけたのです。つまり彼らの奉仕は、進んで任務を負って人々に仕えようとする奉仕です。人の上に立ったり、尊敬を得るためのことではないのです。そして16節には、そのように人たちに「従う」ことが勧められています。その「従う」という言葉は、先程の15節の「任命する」と基本的に同じ言葉なのです。「任命する」という言葉に、「下に」という字がつけ加えられたのがこの言葉で、ですからそれも、軍隊の秩序の下に身を置き、任務に服する、ということを意味するのです。ということは、パウロは、ステファナの一家がしている「奉仕」と、教会の人々に勧めている「彼らに従うこと」とを、同じ事柄として捉えているのです。一方に立派な奉仕をしている人々がいて、他の人々はその人たちを尊敬して従う、ということではありません。奉仕する人々は、仕える働き、任務を自発的に負っている、その人々の奉仕が喜ばれ、尊重されていくことを通して、他の人々もまた、同じ仕える任務を負っていく、そうして、みんながお互いに仕え合い、奉仕し合う群れが育っていく、そういうことをパウロは願っているのです。教会は、互いに仕え合う群れです。教会の頭である主イエス・キリストがまさに、私たちのために十字架にかかって死んで下さるところまで、徹底的に私たちに仕えて下さいました。そのキリストを主と仰ぐ私たちは、主がして下さったように、互いに仕え合うのです。その自発的な奉仕の中から、「執事」という職務が生まれました。教会に執事職があるということは、教会が互いに仕え合い、奉仕し合う群れであるということの表れです。ですから、執事職を置くということは、執事だけが奉仕をする、執事に選ばれたら奉仕する、ということではありません。執事は教会員の自発的な奉仕の先頭に立ち、そして教会が、互いに自発的に仕え合っていく群れとして育っていくために仕えるのです。

17節を読むと、ステファナ、フォルトナト、アカイコといった人々が、コリント教会からエフェソにいるパウロを訪ねてきたことがわかります。彼らが、コリント教会のいろいろな様子を伝え、またいくつかの質問を持ってきたのでしょう。パウロは彼らの訪問を心から喜んでいます。しかもそれを、自分個人の喜びや慰めとして受け取るのではなく、18節にあるように、「わたしとあなたがたとを元気づけてくれた」という事柄として捉えています。つまりこの訪問によって、パウロとコリント教会の人々の、信仰における交わりが深められ、それによって双方が元気づけられるのです。彼らの訪問によって与えられた喜びをこのようにコリント教会と分かち合おうとするパウロの思いは、コリント教会への愛に満ちているのです。

そしてこのパウロとコリント教会の交わりは、彼が今いるアジア州の諸教会とコリント教会との交わりへと広げられていきます。19、20節は、アジア州の諸教会からコリント教会への挨拶です。「よろしく」と訳されている言葉は「挨拶する」という意味です。挨拶は交わりの印です。パウロは、アジア州の諸教会とコリント教会の間に、海を越えて、主イエス・キリストによる一致と交わりを打ち立てようとしているのです。主イエス・キリストを信じる教会に連なっている私たちは、そのことによって、世界中の、共に主イエスを信じ、主に従っていく人々、教会との交わりの中に置かれるのです。しかしそのように海を越えて広がっていく私たちの交わりの土台は、共に礼拝を守る群れにおける交わりにあります。20節後半の、「あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい」という勧めはそのことを教えています。パウロのこのような手紙は、送られた先の教会の礼拝において、説教のように朗読されたものと思われます。そのことを意識しつつ彼はこれを書いているのです。礼拝の中で、共に礼拝している者たちが、互いに挨拶を交わす、礼拝の歴史を学んでみますと、そういうことが実際に礼拝の順序の中に組み込まれていったことがわかります。それを生かそうとしている教会は今もあります。数年前私はイギリスの教会の見学に行く機会を得ましたが、有名なウエストミンスター・アベイの日曜礼拝に出たところ、その中で、隣に座った人どうしが握手をし合うというプログラムがありました。それは、パウロがここで言っていることを生かそうとしているのです。礼拝の中でそういう挨拶が行われることは、共に主イエス・キリストを礼拝することの中にこそ、私たちの一致と交わりの真実の土台がある、ということを表しています。礼拝は隣の人と関係なく守り、礼拝が終ったらさて交わりの時を、というようなものではないのです。このように、主イエス・キリストを礼拝することにこそ信仰者の交わりの土台があるからこそ、その交わりは海の向こうの見ず知らずの諸教会にまで広げられていくことができるのです。

さてこのように、この手紙を締めくくるパウロの挨拶の言葉を読んでくると、パウロがいかにコリント教会を愛し、この教会が内部において一つになり、また他の諸教会との一致と交わりの内に歩むことのために心を砕いているかがわかります。パウロは、教会が自分たちだけで狭く固まってしまうことを常に戒めています。教会の中で、小さなグループを作ってその中に閉じこもってしまうのはよくない、というのは勿論のこと、一つの教会が自分たちの中だけで固まり、他に門戸を閉ざしてしまうこともよくない、教会は、広く諸教会の交わりの中に歩むべきものなのです。パウロはそのように、全世界へと広がっていく教会の広さを見つめているのです。そのようなパウロのまことに広い視野と、様々な違いを乗り越えていこうとする思いとを私たちはここに感じるわけですが、そのように読んでいった時に、22節の言葉は私たちをドキッとさせます。そこには、「主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい」と語られているのです。「神から見捨てられるがいい」は、別の訳し方をすれば「呪われよ」となります。あんなに愛と配慮と、一致、交わりを大切にするパウロが、「呪われよ」という激しい、敵対的な言葉を語っている。そのことに私たちはとまどいを覚えます。けれども、まさにここにこそ、パウロが語っている全てのことを一つにまとめる、扇の要のようなものがあるのです。教会が礼拝している主は、私たちの罪を背負って十字架にかかって死んで下さったイエス・キリストです。その主イエス・キリストを礼拝し、主イエス・キリストに従っていくところに、神様に召し集められて聖なる者とされた者の群れである教会の存在意義があり、またその一致と交わりの根拠があるのです。教会の一致は、人間どうしが折り合いをつけ、妥協して一致点を探ることによって得られる一致ではありません。教会の交わりは、人間の親しさや好き嫌いによる交わりではありません。私たちのために十字架にかかって死んで下さり、そして復活して下さった主イエス・キリストを愛し、その主を礼拝し、そのみ言葉に聞き従うことに、教会の一致と交わりの要はあるのです。そういう意味では、教会はまことに狭い一点に立っているのです。主イエス・キリストという一点です。しかし、扇の要が一点でしっかり止まっているからこそ、末広がりと言われるように先が広がることができるように、教会も主イエス・キリストという狭い一点にしっかりと立つことによってこそ、まことに豊かな広がりを持つことができるのです。この主イエス・キリストを愛するという要をぼやかし、人間の思いにおけるつながりを持ちこもうとすることに対しては、教会ははっきりと「呪われよ」と宣言するのです。それは誰かを呪うためではなくて、私たち自らが、主イエス・キリストを愛し、礼拝することにおける一致と、そこに与えられる本当の広さ、世界に広がっていく交わりに生きていくためなのです。

牧師 藤 掛 順 一
[1999年11月14日]

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