ディノ・チアーニ



クラシック音楽を聴くようになって25年。ほとんど同じくらい、このピアニストを追っかけ続けてきている。

チアーニさんのデビュー盤で、唯一の日本盤のレコード(DG MG 2180)が手元にある。シューマンのノベッレテン。買い始め頃の奇を衒った選択なのか。当時の私には手におえず漫然と聴くだけであった。でも、チアーニさんへの興味は広がり、東京のレコード店で輸入盤をアサる時、アタマの中に、彼のための抽斗を常に意識していた。どこかでDGのウェーバーのソナタ集を見かけたことがある。その時、もっと買いたいものがあったのか、マイナーなものと思ったためか、手が出なかった。今でも残念だと思っている。

しばらくして、金沢のレコード屋さんを知るのだが、最初に店に行った時の話題がチアーニさんであった。すごいピアニストであること。DGが彼を売り出そうと躍起になっていたから、ポリーニさんのデビューが遅れたらしいこと。自動車事故で亡くなったこと。また、ドビュッシーの「前奏曲集」の録音があることを教えてもらい、憧れが大きく膨らんだ。

いつかは手に入るだろうと思っていたが、ドイツでも廃盤の期間があったため、「前奏曲集」が手に入ったのは7、8年たってからである。全面モネの睡蓮のジャケットのレゾナンス盤であった。でも、その間、リコルディ盤のショパンのエチュード、ウェーバーのソナタ1番、2番、イタリア盤のベートーベン集(4番、25番、17番、31番)の2枚組、もう1つの2枚組(ウェーバーのソナタ2番、ベートーベンのOp.126のバガテル、シューマンのノベッレテン、バルトークの野外にて)、ダイナミック盤のベートーベンのディアベルリ変奏曲、バルトーク集のレコードを教えてもらい、夢は大きくかなっている。

CDではドビュッシーの「前奏曲集」、ダイナミック盤の5枚組、ストラディバリウス盤(モーツアルトの14番、バッハのパルティータ6番、ダラピッコラの現代曲)、ショパンのノックターン全集(アゴラ盤)、同じくアゴラ盤のロッシーニのピアノ曲集(列車旅行の転覆したりするもの、メッティナやカニーノの演奏したものがあった。)の2枚組がある。

このピアニストについて、いつか書かなければと思っていたが、昔「前奏曲集」を聴いた時の、懐の深いスケールの大きな演奏というイメージが変わず、そのままであった。
しかし、今年手に入れたショパンのノックターン全集のオマケとして、ショパンの作品60番台のコンサート録音CDがついているが、それを聴いた時ドキッとした。近頃、ショパンについては、聴き飽きたためか感動が少なくなっていたが、昔の熱ッポサを思い出した。血が通ったショパン。陳腐な表現だがショパンが乗り移ったかと見紛う様な。思い入れタップリのノリにノッタ演奏。イイ意味で感情的でしかも格調高い。ハッとする臨場感。聴いていると気分が高められる。クライマックスでは戦慄を覚える。ココロの何かが共鳴し解放されイイ気持ちになる。劇的な「幻想ポロネーズ」。「舟歌」の高まり。絶え入る様な「マズルカ」。楽譜を片手に聴く人はマユを顰める連続か。その人たちにはワカラナイ。

このノックターン全集はかなり前から知っていた。15年ほど前、金沢のレコード屋さんで、大学病院のお医者さんが、ヨーロッパの学会に行った時買ってきたのを、一度聴かせてもらっている。お医者さんは現代音楽専門で、レコード屋さんと私との会話を聞いて買ってきたと思う。DGのヨーロッパ限定盤なのか。欲しいが下さいとも言えず、半ば諦めていたものであるから、手に入れた時長年の喉の骨のツッカエがとれた感じであった。

最近、イタリア盤の4枚を改めて聴いた。激しいダイナミックさはナイ。完全無欠のスーパーマンではナイ。心思うままの楽しい音の処理が聞こえる。気品とイイ意味でのブラフを感じる。粋な演奏。チャカチャカと感じる時にもそうである。音楽を理解しているから。世の中の楽しみイイ世界を見ているから、イイ音楽を聴かせてくれる。ベートーベンの31番の嘆きの歌では、堪らないナアと思うほど消え入る様なパッセージ。バルトークでは無遠慮で無作法に思える響き。音の世界の広がりを見せてくれる。

ドビュシーの前奏曲やウェーバーのソナタなど、まだまだ聴き直したいモノがある。ロッシーニのピアノ曲集はまだ聴いていない。これからも追いかける必要のある大切なピアニストである。

ある方のご好意により、チアーニさんのイタリア・グラモフォンのCDを譲っていただいた。ゴールデン・ドキュメントというタイトルの2枚組が3つ。第1集はショパンのノックターン。第2集はドビュッシーの前奏曲集とシューマンのノヴェレッテン。第3集はバッハのパルティータ6番、平均律クラヴィーア集から2曲、ウェーバーのピアノソナタ2番、3番そしてバルトークの野外にての4曲と5曲である。2集と3集はスタジオ録音である。

チアーニさんのグラモフォンのスタジオ録音は、このピアニストが残した最良の音質のモノで、本当の彼を知ることができるモノと思う。このページがキッカケであるが、聴けば聴くほど、貴重なCDと思われ、譲っていただいたことに心から深く感謝している。

チアーニさんはウェーバーに対して特別な思い入れがあるのだろうか。リコルディ盤、ダイナミックス盤、イタリア盤にそれぞれ録音している。でも、録音がイマイチで没個性のツブヤキに聞こえ、訴えるものを感じなかった。今回のはスタジオ録音で、私が昔東京で見かけたDGのレコードのCD化されたモノと思われる。しっかりとした伸びやかな音、流れるメロディー。オーソドックスで自然体で唄っている。十分に色合いをつけ感情を込め表情豊かで深い。当然のことだが、喜怒哀楽があるウェーバーなのである。優しくロマンチックに。激しいダイナミックさも同居。この作曲家に光をあてたチアーニさんの思いと声が聞こえる様だ。説得力を持って語ってくれる。ウェーバーってこんなに楽しい曲だったのか。ベートーベンあり、シューベルトあり、メンデルスゾーンも。

ソナタの2番。1楽章。流れるようなメロディー、でも、ユッタリとした落ち着き。一音一音確かめるように、ドラマチックにロマンチックに。素晴らしい構成力。2楽章。すべてが青天白日の下でナイ。クスミがかったタメライ、気恥ずかしさ、それを誇張することなく素直に表現する。ベートーベンが見え隠れする。3楽章、4楽章。自在に伸縮する音楽、明るく楽しい演奏。音楽の喜びを発見したウェーバーの喜びを心イッパイ代弁している。

ソナタの3番。感情の豊かさ、激しさ、作曲家の多感なキモチ。明るい色合いの安定した演奏。聴いている私のココロもワクワクする。2楽章。一転して、青春の息吹からその中に潜むカゲとヒダの部分。傷つきやすい繊細でナイーブなココロ。でも、そこにとどまりメンメンとツブヤクのネガティブな音楽でなく、そのキモチを膨らましてポジな音楽を展開する。3楽章。キモチは1楽章、軽やかに快活に。私のココロの吐露はこれでオシマイ、次また聴いてヨネなのか。明るさを感じ楽しくなる。作曲家の意図なのか演奏家の色付けか。チアーニさんのウェーバーに対する優しさを感じる。

シューマンの「ノベレッテン」はレコードで聴いたはずだが。1曲目。華麗なる節回しに彩られる。ロマンチックな心、「好きです」って告白しているのか。キモチが大きく広がる、ウキウキ昇っていく。2曲目。心にはっと浮かぶ発想がカラフルにコロコロ転がる。ブツブツしたツブヤキも楽しい。ドロッとした本心がノゾク。3曲目。投げやり的なシューマンのうつろう精神状態、分裂的に小気味よく。スゴイ読み、表現力。沢山の音が楽しそうに鳴り響く。破綻なきピアニズム。4曲目。慇懃無礼なアイサツから始まる舞踏会。心はここにあらず別なことに巡る。一ヶ所にとどまらずイロンナことを。

5曲目。オーソドックスな立ち上り。少しくすんで内向的色合い、ノーマルな心との引っ張り合い。さらにメランコリー。浮かないキモチ、チョットの刺激では戻らない。暗いリズムが鳴り響く、ワカラナイ世界、オイゼビウスより暗い森、暗闇へ。6曲目。鬼ごっこのように、幼い日の発想が広がる。邪心なきキモチの広がり。ワクワク、次はどんなで楽しめる。ここでは、暗さはミジンもない。7曲目。あくまでも快活にハイな状態。優しい心、幼い心、純粋な心。でも、モーツアルトのクレバーさはない。もっとタドタドしくて無垢。8曲目。流れる様な細かなメロディー。それにヨウガスと真っ向勝負。茶目っ気が加わっても構わず対応。シッチャカメッチャカに思える音の組み立てにも動じない。シューマンの気持を理解しているのか。もの静かなロマンチックさ、クスンダ感情が入れ替わり立ち代り。ゴッタ煮にならずに品よくポトフとなる。

チアーニさんは、素直にシューマンに立ち向かってすべてを着実に表現している。作曲家特有の暗いモノ、アブノーマルなモノを誇張することはない。極めて正常なアプローチである、病的なものはミジンもない。笑い、悲しみ、もの悲しさ、そのとおりなのである。シューマンの名を借りて、演奏家は自分の喜怒哀楽を表現している。カラフルな感情でノベレッテンを生き生きさせているのである。

バッハの「パルティータ6番」。この曲はストラディバリウス盤にも入っていたが、ライブ録音で音質がクスミがかかっていてハッキリしなかった。グラモフォン盤は朗々とそしてキレイな音である。すごくユックリしたバッハ。一音一音確かめるように進んでいく。才気煥発なキラキラした演奏も可能なハズ。しかし、それには無縁。物静かにバッハと対話する姿勢。地味で控えめなバッハである。大人しい演奏、丁寧で模範的なモノ。才能をひけらかすこともない。自然に気品が表れる。オーソドックスで生真面目で、曲が流れない。面白味に欠ける演奏かもしれない。でも、作曲家のキモチを辿っていくような演奏。真摯である。1音もオロソカにすることもない。チアーニさんのバッハなのである。引き込まれて静かに音楽を考えるステキな時間をもらえる。クーラントで途切れることなくコレデモカコレデモカと繰り返されるのも心地よい。

「平均律クラヴィーア集」より2曲。「BWV853」。ゆっくりとだがコレデモカコレデモカと、きれいな高音をめざす前奏曲。静寂ではなく力強くきらめく。フーガ、全空間をバッハの音で満たそうとして響きわたる。細工ナシの太い音、これがチアーニさんのバッハ。「BWV877」。聴き手の心の中に、余分なことを考えることができないくらいに音が一杯に広がる。ピアニストはキチキチとメイッパイ。バッハの音楽、響きのスゴサの楽しみを見つけている。

(2000.5.8)(2000.8.22加筆)


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