富山鹿島町教会

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「ナルニア国物語」について 第52回

7.「さいごの戦い」(5)

 牧師 藤掛順一


 砦の塔に着いた一行は、夜になるのを待ち、カロールメン兵士の鎧を身につけて変装し、再びうまやの丘へと向かいました。チリアンとユースチスが番兵を縛り上げて、捕えられていた一角獣のたから石を助け出している間に、ジルはうまやの中をのぞき、そこにライオンの皮を被ったロバのトマドイがいるのを見つけて連れ出しました。うまやの中に閉じ込められてうんざりしていたトマドイはジルについてきました。
そこに、カロールメン兵士に連れられた小人たちの集団が近づいてきました。カロールメンの鉱山で働かされるために連れていかれようとしていたのです。チリアンは彼らにライオンの皮を被ったトマドイを見せ、アスランがナルニアに来たことも、小人たちをカロールメンの鉱山で働かせようとしていることも、みんな毛ザルの嘘だったことを示しました。そしてカロールメンの兵士を倒し、小人たちを解放しました。アスラン万歳、これで万事うまくいく、と思ったとたん、恐ろしいことが起こりました。小人たちは少しも喜ぼうとしないのです。グリフルという小人がこう言いました。
「あんたがたがどう思っているかは知りませんがね、おれの方は、今まであまりききすぎたんで、これからさきもう一生、アスランのことは、ききたくないって感じでさ。…おれたちは一度すっかりだまされた。だからこんどもひきつづいてすぐにだまされるものと、あんたがたは思ってるんだ。もうアスランの話なんて、役に立たないぞ。ほら、あれを見ろ!長い耳をした年よりロバを見ろ!」「なんということだ。そなたたちは、わたしをおこらせるぞ。」とチリアン。「わたしたちのうち、だれが、これをアスランだといった?これは、毛ザルがこしらえたアスランのにせものだぞ、わかったか?」「それで、あんたは、もっとよく似てるにせものをつくるんだろうさ!」とグリフル。「ごめんだね。おれたちは、一度すっかりばかにされたけど、もう、ばかにされはしないぞ。」「そんなことをするか!」とチリアンがおこってしまいました。「わたしは、まことのアスランにつかえる者だ。」「それじゃ、アスランはどこだ?アスランはどれだ?さ、見せてくれ!」といく人もの小人たちがいいました。「そなたたちは、わたしが財布のなかにしまいこんでるとでも思っているのか?」とチリアン。「わたしが命令しだいでアスランをよびだせるような人間だと思うか。アスランは主人もちのライオンではない。」このことばを口からだしたとたんに、チリアンは、ひと手さしちがえたことに気づきました。すぐさま小人たちは、からかい歌の調子をつけて、「主人もちじゃない、主人もちじゃない。」といいそやしはじめました。「そいつは、べつのやつから耳にたこができるほど、きいた文句さ。」
 「アスランは主人もちのライオンではない」(not a tame lion)。これは全く正しい真理です。まことの神であるアスランは、人間がお守りのように懐にしまっておけるような、人間の思い通りになる存在ではないのです。ところが、この真理がヨコシマによって悪用され、ナルニア人を偽のアスランに従わせるために用いられました。それによって、この言葉の与える印象が全く違うものになってしまったのです。それはもはや真摯な信仰の言葉とは理解されず、人々を騙して思い通りにするための手段と思われるようになりました。間違った、偽物の信仰は、まことの信仰からも人々を遠ざけてしまうのです。統一協会などのカルト宗教にはまってしまった人が、その間違いに気づかされ、救出された時に、「もう宗教は一切こりごりだ」と思ってしまうのと同じです。偽物に騙された人がそれに気づいた時、本物を追い求める思いをも失ってしまうのです。「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう」(マタイ二四・五)。その「惑わし」の現実をルイスはこのように深く見つめているのです。
 一同はうちひしがれて塔へと戻っていきました。するとポギンという一人の小人が、仲間から抜け出して彼らを追ってきました。彼はまことのアスランを信じ、王のもとで戦うと言います。多くの者たちが信仰を失ってしまう中で、このように信仰に踏みとどまり、最後まで従っていこうとする者もいる、それもまた「世の終わり」の現実です。一同はこのまことの信仰者の出現に大いに力づけられたのです。
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