富山鹿島町教会

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「ナルニア国物語」について 第49回

7.「さいごの戦い」(2)

 牧師 藤掛順一


 そこに、木の精ドリアードがやって来て助けを求めました。自分たちの仲間が切り倒されているというのです。ものいう木々を切り倒すなど、ナルニアでは考えられないことでした。王は怒りにかられ、星うらべにケア・パラベルから援軍を連れて来ることを命じると、たから石と一緒に木々が切り倒されている現場へと向かいました。途中で、切り倒した木をいかだにして運ぶ川ネズミに会いました。ネズミはこの木をカロールメンに売るのだと言います。そしてそれはアスランの命令であると。カロールメンは第五巻「馬と少年」の舞台となった、南方の野蛮な国で、自由の国ナルニアとは正反対の、奴隷制度を持つ専制君主国です。隙あらばナルニアを征服しようと狙っている国でもありました。アスランがナルニアの木を切り倒してカロールメンに売るなど、「そんなことができようか」と王が言うと、たから石は打ちひしがれて、再び、「ぞんじません。あのかたは、主人もちのライオンではございません」と言いました。
 いよいよ木々が切り倒されている現場に着くと、そこにはカロールメン国の人々が大勢いました。そして彼らがこき使い、ひどい目にあわせている馬が、ナルニアのもの言う馬だとわかったとたん、王とたから石は怒りの余りそのカロールメン人を殺してしまったのです。馬は、このすべてはアスランの命令なのだと言います。仲間がやられたことを知って駆けつけてきたカロールメン人のもとから、王とたから石は一旦逃れました。しかし冷静になってふりかえって見ると、自分たちが戦場でもないのに武器も持たない者を殺してしまったことに気づきました。名誉を重んじる騎士としてはそれは許されないことでした。二人はとって返し、名誉を汚した騎士としてアスランに身を委ねようとします。捕えられた彼らは、ある丘の上の空き地に連れていかれました。その頂上にはうまやのような小屋があり、その前には毛ザルのヨコシマが得意満面に座っています。ナルニア人たちはその周りを不安そうな面持ちでとりまいています。ヨコシマはそこで「アスランの口きき」として勝手な命令を発していたのでした。リスのかしらが、アスランご自身にお会いしたいと願うと、ヨコシマはこう言いました。「それはならぬ。あのかたは、ひょっとしたらかたじけなくも(もっとも、おまえたちには、身にすぎたことだが)、今夜は数分間おでましになる。その時おまえたちは、ひと目おがめるぞ。しかし、あのかたのまわりにどっと集まり、質問ぜめでうるさがらせてはならぬ。あのかたに申しあげることがあれば、きっとおれを通すのだぞ。それとて、おれが、あのかたをわずらわせるにたるものと考えた場合にかぎる」。イノシシが、「だがどうして、ちゃんとアスランに会い、話しをかわすことができないんです?むかしナルニアによくおいでになった時には、だれでも、面とむかってものをいうことができたんだ」と言うと、「そんないいつたえを信じるな。それがほんとうだったとしても、時代が変わったんだ。アスランは、むかしおまえたちに、やさしくしすぎたとおっしゃっている。わかるな?だからもう、やたらにやさしくはなさらん。こんどは、おまえたちをちゃんとしたものに、きたえあげようとなさっておる。あのかたを、主人もちのライオンなどと考えたら、ひどいめにあうぞ」。
 アスランは主人もちのライオンではない(not a tame lion)、このことが、ナルニア人たちには強烈な「縛り」となっています。そのことのゆえに、苦しい、つらい、理不尽な命令も聞かないわけにいかないのです。この感覚は、神様を人間の願いや必要のために利用してはばからない御利益宗教や、神々がそれぞれの役割分担を持って共存している多神教の土壌においてはわからないことです。ただ一人の神が世界を支配する主人としておられ、幸福も災いもその一人の神から来ることを信じる時に、その神の主権と自由ということが生じ、神は新しく何をなさるかわからない、人間がそれに反対したり、抵抗することは神への反逆だ、という論理がなり立つのです。ヨコシマはそれを巧みに利用しているのです。ここには、「一神教」が「狂信」に陥る構造が描かれています。「唯一の神に従う」という信仰は、まかり間違えば、「唯一の人の独裁」になるのです。大切なことは、その唯一の神がどのような神であられるかです。そこを間違ってしまうと、飛行機をハイジャックして乗客もろとも自爆テロを行うことをも平気でするようになってしまうのです。
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