富山鹿島町教会

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「ナルニア国物語」について 第34回

5.「馬と少年」(6)

 牧師 藤掛順一


 夜明けと共にアスランの姿は消えました。そして気が付くとシャスタは、ナルニアに来ていたのです。アスランがその道を導いてきてくれたのでした。ナルニア人に出会ったシャスタは、アンバード城がラバダシに攻められていることを告げます。そのことはすぐにケア・パラベルに知らされました。シャスタはある小人の家の客となりました。翌朝、エドマンド王とルーシィ女王に率いられたナルニアの軍勢が救援に駆け付けました。コーリン王子も一緒でした。シャスタはコーリン王子と共にナルニア軍に加わり、アンバード城救援に向かいました。アンバード城は、シャスタがもたらした知らせのおかげで、城門を閉ざしていましたので、ラバダシの奇襲は成功せず、篭城戦になっていました。そこに、これもシャスタの知らせによるナルニアの救援軍が到着し、カロールメン軍は破れ、ラバダシは捕虜になりました。シャスタのおかげで、アーケン国は救われたのです。 さて、アラビスとブレーとフィンは仙人の所にいました。彼らはいよいよナルニアに向けて出発しようとしていたのですが、そこでこのようなことが起こりました。アラビスがブレーにこう尋ねたのです。
「ずいぶん前からききたいと思っていたんだけれど、あなたはなぜ、誓うときにいつも『ライオンにかけて』とか、『ライオンのたてがみにかけて』とかいうの?あなたはライオンをいやがっていたはずよ。」「そのとおりです。」とブレーがこたえました。「しかし、わたしのいってるライオンとは、もちろん、あの魔女と冬を追いはらったナルニアの偉大な救い主のアスランのことですよ。ナルニア人は、みんなあのかたにかけて誓うのです。」「でも、それはほんとのライオンでしょう?」「いや、いや、もちろんちがいますとも。」ブレーは、ちょっとびくっとしたような口調でいいました。「タシバーンできく話では、どれもそれはライオンだっていってるわ。」とアラビスはいいかえしました。「それに、ライオンじゃないのなら、なぜあなたはライオンって呼ぶの?」「そうですね、あなたの年ではちょっとわからないでしょうね。」とブレー。「わたしだって、ナルニアをはなれたのはほんの小馬のときでしたから、じぶんでもすっかりわかってるわけではないのです。」(このときブレーは、緑のつい地に背をむけて話しており、アラビスとフィンは、ブレーにむかいあっていました。ブレーは目を半ば閉じて、かなりえらそうな話しかたをしていました。そのためブレーは、フィンとアラビスの顔の表情が変わったのに気づきませんでした。フィンとアラビスがぽかんと口をあけ、目を見開いたのもむりはありません。ブレーが話している間に、ものすごく大きなライオンが外からおどりあがって、緑のつい地の上にうまく重心をとって乗っているのを見たのです。それは、ただふつうのライオンよりもあかるい黄色で、これまでにフィンやアラビスが見たどのライオンよりも大きく、美しく、そしてひとをおそれさすものがありました。ライオンは、すぐについ地の内側に跳びおりると、うしろからブレーに近づいてきました。音ひとつたてません。そして、フィンもアラビスも、まるでこおりついたように、声をたてることもできませんでした。)「もちろん、」とブレーはつづけました。「タシバーンのひとびとがライオンだといってるのは、ライオンのように強いとか、ライオンのようにどう猛(もちろん、わたしたちの敵にとってです)だとかいうくらいのいみでいっているのでしょう。まあ、その程度のことですよ。アラビスさん、あなたのような小さな女の子だって、それがほんとのライオンだと考えるなんてばかばかしいことぐらいはわかりますよね。まったく失礼な話ですよ。もしそれがライオンだとしたら、わたしたちとかわらないけものだってことですからね。やれやれ!」(そういって、ブレーは笑いだしました)「もしそれがライオンだというなら、四つの足があって、しっぽがあって、ほおひげが…ああっ、うー、フー、フー!助けてー!」それというのは、ブレーがちょうど「ひげが」といったそのとき、アスランのひげのさきがブレーの耳をくすぐったからです。
アスランは、びっくりして飛んで逃げたブレーにこう語りかけました。
「さて、ブレー。あわれな、自慢やの腰ぬけ馬よ、ここへくるがよい。もっと近くによれ、わが子よ。勇気をだしそこなったことは勇気をだしてやりなおせ。わたしにさわってごらん。においをかいでごらん。これがわたしの前足だ。これがしっぽだ。これがほおひげだ。わたしはほんもののけものだよ。」
 このくだりも、キリスト教信仰における大切なことを言い表しています。もの言うけものの国ナルニアの救い主アスランは、「ほんもののけもの」なのです。それは私たち人間の世界にあてはめて言えば、私たちの救い主イエス・キリストは「まことの人」であられるということです。ブレーは、アスランがライオンであるというのは「ライオンのように強い」という意味のたとえに過ぎないのであって、アスランが本当のけものであるはずはないと思っていました。それは、神の子イエス・キリストが人間となられたのを、「人間の姿に身をやつして」来られたのであって、「人間のように見えただけ」で、私たちと同じ人間であるはずはない、と考えるのと同じことです。そういうのを「仮現論」というのですが、それはイエス・キリストを神として尊敬しているように見えて、実は、神が人となって下さったという恵みを否定してしまっているのです。アスランは、ブレーと同じ、四つ足で、しっぽがあり、ひげがある、ほんもののけものです。主イエス・キリストは、私たちと同じ、まことの人間となって下さったのです。それが「神の子の受肉」という恵みです。神の独り子が、まことの神でありながら、まことの人となって下さった、そこに、神の私たちに対する、人間の思いを越えた驚くべき愛があるのです。「神様が人間になるなんてあり得ない」とわけ知り顔で言う私たちに対して、主イエス・キリストは、「わたしはほんものの人間だよ」と告げて下さっているのです。
 
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