富山鹿島町教会

トップページ最新情報教会案内礼拝メッセージエトセトラリンク集
←戻る 次へ→
.

「ナルニア国物語」について 第23回

4.「銀のいす」(3)

 牧師 藤掛順一


 フクロウたちは、ユースチスとジルを「沼人」のところへ連れていきました。北方へ旅していく彼らの力になれるのは沼人だというのです。沼人の描写はこのようになされています。「おちくぼんだほお、一文字にきつく結んだ口、とがった鼻、ひげのない顔です。おそろしく広い平たいつばの、さきのとがった長い帽子をかぶっています。髪の毛は大きな耳の上にかぶさって、黒っぽい緑色で、髪の房がみな、丸くなくてぺしゃんこですから、うすいアシのたばのようです。顔の表情は、まじめ一点ばり、顔色は泥のようで、ひと目みただけで、この人がきまじめな考えをもっていることがわかります」。また、彼は非常に手足が長く、胴のところは小人ほどしかないのに、立てばふつうの人よりずっと背が高い、そして手と足の指にはカエルのような水かきがある、という人でした。彼の名前は「泥足にがえもん」と訳されています。原語はPuddleglumです。puddleとは「泥水」、glumは「むっつりした」という意味ですから、名訳です。この泥足にがえもんは、ルイスがナルニア国物語の中で生み出した最も個性的で魅力ある人物の一人であると言えるでしょう。いつも人の気をくじくようなことばかり言いながら、実は非常に積極的で勇気があり、いざという時に頼りになる、という人です。彼の話し方はたとえばこんなぐあいです。「冬がまもなくやってくるというこの時期に、あたしらが北方とおくまで旅をすることはなかなかできそうもないと思うのがりくつでさ。また天気の上からみて、冬にはいってからでは、できません。けれども、あんたがた、がっかりなさっちゃいけませんよ。敵とあったり、山をこえ川をこしたり、道にまよったり、それから、食べものがなかったり、足をいためたりしがちだから、あたしら、とても天気にまで気をくばってられますまいからね。それに、ものになるくらい遠くにいけないとしても、なかなかおいそれとは帰れないくらいのところまでは、いけるでしょうからね」。こう言いながら、彼は「あたしら」と言って一緒に行くことを宣言しているのです。
 こうして彼ら三人はアスランのしるべのことばにある「巨人の都あと」を求めて、北の荒野へと旅立っていきました。荒野を過ぎ、けわしい山地にさしかかったころ、彼らは、馬に乗ってこちらにやって来る二人づれと出会いました。その一人は全身鎧に身を包み、顔も隠している騎士で、もう一人は緑の衣を着た美しい貴婦人でした。騎士は一言も口をききませんでしたが、貴婦人は、巨人の都あとのことは知らないけれど、この道をいけばハルファンという巨人の都に着くので、そこで聞けば昔の都あとのことがわかるかもしれない。そこの巨人たちはおとなしく文化的な人々だから、そこで冬を越したらいい。緑の衣の女の紹介で、秋の祭りに来たと言えば歓待してくれる、と言いました。
 これを聞いてから、荒野の旅にうんざりしていたユースチスとジルは、早くハルファンに着いて温かい部屋でおいしいごちそうにあずかることばかりを考えるようになってしまいました。泥足にがえもんは、あの女は何か悪いことをたくらんでいるに違いない、巨人の都などには行かない方がよい、そもそも、アスランのしるべのことばには、巨人の都の跡のことはあっても、現在の巨人の都のことなど一言もなかったではないか、と言ったのですが、二人は聞く耳を持ちませんでした。「あの女の人がなんのつもりでハルファンのことを教えてくれたかはわかりませんが、子どもたちにじっさいにおよぼした影響は、わるいものでした。ふたりはベッドと風呂とあたたかい食事のこと、へやのなかにおちついたらどんなに気もちがいいだろうということのほかは、何も考えなくなりました。もうアスランのことを話すこともなく、ゆくえ不明の王子のことを口にすることも、いまはしなくなりました。そしてジルは、まい朝まい晩、胸のなかでアスランのしるべのことはをくりかえしていうならわしをやめました。はじめのうちは、くたびれすぎたからと、じぶんにいいきかせていましたが、まもなくそれをすっかり忘れてしまいました。そして、ハルファンについてのびのびしようというのぞみが、ふたりの心をぐんとはげましてくれるにちがいないと、よそめには考えられるでしょうが、じつのところはかえってふたりを、ますますみじめにし、おたがい同士、また泥足にがえもんに対して、ますますへそをまげたり、ぽんぽんいったりさせるようになりました。」
 皆さんもお気づきのように、あの緑の衣の女は、リリアン王子をさらった魔女です。ハルファンへの誘いは、彼らを破滅させようとする策略だったのです。しかし荒野の旅の苦しさのために、ユースチスとジルはそのことを見抜けず、これこそ自分たちのためになる勧めだと思い込んでしまいました。そして、アスランのしるべのことばを心にとめ、それに従おうとすることをやめてしまったのです。アスランの言葉に従って歩むか、魔女の誘惑の言葉にたぶらかされて歩むか、この旅は単なる冒険の旅ではなく、まさに信仰の旅路なのです。
 
←戻る 次へ→