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「ナルニア国物語」について 第17回3.「朝びらき丸東の海へ」(4)牧師 藤掛順一
ユースチスはどのようにして、竜の姿から元の人間に戻ることができたのでしょうか。彼自身の語った話を読んでみましょう。 「ゆうべは、いままでになく、みじめだった。それにあのやりきれない腕輪が、すごくいたくていたくて…。ぼくは目をあけて寝たまま、いったいぼくはこれからどうなるだろうとしきりに考えていた。するとその時、…ぼくは目をあげて、およそぼくの予想していなかったものを見たんだ。ぼくの方へゆっくりやってくる大きなライオンだった。…ぼくは、すごくそれがおそろしかったよ。竜であれば、ライオンごときはあっさりやっつけることができるときみは思うかもしれない。けれども、そんなこわさではない。それがぼくをたべるかとおそれていたんじゃない。ただそのものが、おそろしかったんだ、わかるかねえ。で、それはいよいよぼくにせまってきて、ぴたりとぼくの目を見つめた。それでぼくは、必死で目をとじたんだ。ところがそんなことをしてもだめだった。それがぼくに、ついてこいといったからなんだ。…そしてぼくは、それがつげたことをしなけりゃいけないことがわかったから、起きあがって、そのあとへついていった。…やがてぼくたちは、これまで見たことのない山のいただきに出た。そのいただきには庭があったよ。…そのまんなかに井戸があった。…けれども、たいていの井戸よりずっと大きいんだ―とても大きくて、水のなかへおりていく大理石の階段のある丸いプールでね。水はあくまでも澄みきっていて、もしそこにはいって水につかれば、足のいたみがとれるだろうと思った。けれどもライオンは、まず着物をぬがなければいけないという。…で、ぼくは、どんな着物も着ていないから、着物はぬげないといおうとしたが、その時いきなり、竜は蛇みないなものだし、蛇はころもをぬぎすてることができるじゃないかと思いついた。そうだ、ライオンがそういうのも、もちろん、そういうことだとぼくは思った。そこでぼくは、からだをひっかきはじめた。するとうろこが、そっくりはがれてきだしたんだ。それからもっとふかくひっかいてみた。すると、うろこがあちこちはがれるかわりに、からだのかわ全体が、ぺろりと、まるで病気のあとのように、それこそバナナの皮みたいにむけはじめた。一、二分のうちに、ぼくは、皮のなかからおどり出た。ぼくのそばに竜の皮がのびているのを見ると、なんだかいやらしいものだったね。気もちがとてもすっきりした。そこでぼくは、水にひたろうと井戸におりていくことにした。 けれども、水の中に足をつけようとしたとたんに、下を見て、その足が前とおなじように、かたくてざらざらして、しわがよって、うろこができているのを知った。ああ、それならそれでいい、とぼくはいったね。はじめの皮の下に、もっと小さい皮をきてたんだ。それなら、そいつもぬがなけりゃならないぞってね。そこでぼくは、ふたたびかきむしって、もう一枚の皮をかたわらにぬぎすてると、水をあびに井戸におりていった。 ところが、その時もう一度、前とそっくりおなじことがおこった。それからぼくは、ひそかに思ったね、やれやれ、どれほどたくさんの皮をぬぎすてなけりゃならないのかって。こうしてぼくは三度めに、からだをひっかいて、三枚めの皮を、前とおなじようにぬぎすて、そのなかから出ていった。けれども、水かがみにうつるぼくを見るやいなや、やっぱりだめだということがわかった。 その時、ライオンがこういった。…おまえは、わたしにその着物をぬがさせなければいけない、とね。はっきりいうと、ライオンの爪がおそろしかった。けれども、ぼくももう、やぶれかぶれさ。そこで、ライオンにむいてもらうために、その場にあおむけに横になったのだ。 ライオンが爪をたてた第一のひきさきかたは、あまりふかかったものだから、それが心臓までつきさしたと思ったくらいだった。そしてそれが皮をひきはがしはじめると、いままで感じたことがないほどはげしくいたんだ。そのぼくをがまんさせてくれたのは、ただ、いやなものがはがれていく気もちのうれしさ一すじさ。…からだがさけるほどいたくて、悲鳴がでそうなんだが、皮がむけていくのを見るのはとてもゆかいだった。…で、ライオンは、いやらしいものをめりめりとむいていった。前に三度じぶんでやったのとおなじぐあいだと思えた。もっとも、じぶんでやった時はいたくなかったけど。そして皮が草の上に横にしてあった。ただ、いままでのよりは、はるかにあつく、黒く、でこぼこしたかっこうのものだった。それにぼくは、皮をむいた若枝のようになめらかで、いままでよりも小さくなっていた。するとライオンは、ぼくをぎゅっとつかんで…水のなかにほうりこんだ。そのしゅんかんばかりは、もうれつにずきずきしたよ。そのあとすっかりいいぐあいになって、なかで泳いだり、ばしゃばしゃ水をはねかせたりしはじめると、腕のあれほどのいたみがきれいにとれていることがわかった。その時にぼくは、どうしてだか、そのわけを知ったよ。ぼくがふたたび男の子にもどったんだ。」 こうしてユースチスは人間に戻ったのです。彼が出会ったライオンとは勿論、アスランです。アスランが彼を人間に戻してくれたのです。竜の皮を脱ぐというのは非常に象徴的なことです。ユースチスは、欲望、罪の思いによって竜の姿になりました。その罪の殻を脱ぎ捨てなければ人間に戻ることができないのです。彼自身がそれを何度も必死に脱ぎ捨てようとします。しかし、自分で自分の罪の殻を脱ぎ捨てることは、どんなにがんばってもできないのです。アスランが、「わたしにその着物をぬがさせよ」と言います。罪の殻はアスランに、即ち主イエス・キリストにはぎ取ってもらわなければならないのです。アスランが私たちの罪の殻をはぎ取られる時、それは激しい痛みを伴います。自分で自分の殻を脱ぎ捨てようとしている間は痛くはないのです。主イエス・キリストは、「心臓までつきさしたと思うくらい」に深く、私たちの罪の姿に爪を立て、それを引き裂きます。そして、「あくまでも済みきった」水?それは洗礼の水を象徴していると言ってもよいでしょう?その水に私たちを浸されるのです。罪人である私たちが主イエスの救いにあずかるとはこういうことです。またそれは、悔い改めることの本質でもあります。私たちは、自分で悔い改めて新しくなれるのではありません。主イエスによって罪を取り除いていただくのです。このことを通して、ユースチスは新しく生まれ変わったのです。 エドマンドは、彼が会ったライオンがアスランであることを教えました。「『アスラン!』ユースチスがいいました。『ぼくたちが、朝びらき丸に乗りこんでから、いく度もその名が口にされるのをきいてきた。そしてぼくは?どうしてだかわからないがその名をにくいように思っていた。けれどもそのころ、ぼくはなにもかもにくらしかったんだ。ついでに、いいわけさせてもらうよ。じぶんがどんなにいやらしいやつだったろうなあ。』『そんなことはいいんだ。』とエドマンド。『きみにだけいうけど、ぼくがはじめてナルニアへでかけていったころほど、きみは悪くはなかったさ。きみが、とんまのロバにすぎなくとも、ぼくは、裏切者だったんだよ。』」エドマンドが先にそうだったように、ユースチスも、アスランによって罪を赦され、新しくされたのです。 |
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