1.安息の礼拝
先週の主の日の礼拝において、私共は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」とのイエス様の言葉を与えられました。そして今朝、私共はこのイエス様の招きの言葉に応えて、ここに集っています。私共は休むために、神様の御許、イエス様の御許で休むために、ここに集って来ました。この主の日の礼拝こそ、神様が私共に与えてくださった休息の場、安息の時です。私共は六日の間働いて、週の初めの日にここに集って休む。そしてまた、六日の歩みへと歩み出していく。これが、神様によって与えられた私共キリスト者の人生のリズムです。
でも、どうして私共は週に一度休むのでしょう。そしてそれは、どうしてこの主の日の礼拝の場なのでしょうか。
2.安息日の由来
この主の日の礼拝が、旧約における安息日礼拝に起源があることは明らかでしょう。神様は十戒を与えて、神の民としての歩み方を教えてくださいました。その神の民としての歩み方の中に、第四の戒として「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」があります。神の民はこの十戒に従って、安息日を神様に感謝する日として守って来ました。旧約の安息日は週の終わりの日である土曜日でしたが、イエス様が週の初めの日である日曜日に復活されたので、私共はこの日を、主の救いの業を覚えて感謝し、礼拝を守る日としてきたわけです。
そもそも安息日とは、文字通り安息する日、休む日です。十戒が記されている出エジプト記20章8〜11節には、このように安息日の規定が記されています。「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」ここで安息日の由来を、神様は天地創造の時に六日間ですべてを造られ、七日目に休まれた。だから、そのことを覚えて、七日目に神の民はいかなる仕事もしない。神様の創造の御業を覚え、これに感謝し、七日目を神様の日として分ける。これが普通私共が安息日を考える時に思い起こすことでしょう。
しかし、聖書にはもう一つの安息日の由来が記されています。それは申命記5章12〜15節です。「安息日を守ってこれを聖別せよ、あなたの神、主が命じられたとおりに、六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、ろばなどすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる。あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るように命じられたのである。」14節までは出エジプト記20章と同じです。しかし15節「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るように命じられたのである。」とあって、ここで安息日を守るのは、出エジプトの救いの出来事を思い起こすためだと記されているのです。
つまり、安息日を覚えて休むのは、出エジプト記20章にあるように「神様の創造の御業と救いの御業を覚えて」ということと、申命記5章にあるように「神様の救いの御業を覚えて」ということであり、この二つの神様の御業を覚えて神様に感謝し、礼拝するためだということになります。そして、ここに私共が休むことの意味があります。
ちなみに、「聖別する」とは、神様のものとして別に分けるという意味です。私はいつも「主の日の礼拝」と言います。「日曜の礼拝」とは言いません。それは、この日全体が主のものとされている日であり、この日の主(あるじ)は私ではなく主だからです。ですから、ただ何の仕事もしない、ただ休むということではない。この日は、自分のために用いる日ではなく、神様の日として守るのです。
3.神様との交わりの中に憩う
私共は日々の忙しさの中で、自分が何者であり、どこに向かって歩んでいるのかを忘れてしまいます。ここに私共が疲れてしまう理由があるのでしょう。そこで週に一度ここに集って、神様がこの世界を造り、私を造り、世界のすべてを支配してくださっていること、私の人生はこの神様の御手の中にあることを覚える。そして、私を一切の罪から救い出すためにイエス様を与えてくださった、この神様の愛、神様の憐れみの中に生かされていること、イエス様が再び来てくださる日を目指してこの一週も生きていくことを心に刻む。そのことによって、心も体も休めて、新しい一週の歩みを始める。これが私共の主の日の休み方です。
健康のためには規則正しい生活が大切だとよく言われますけれど、健やかな信仰生活、霊の健やかさのためにも、主の日の度毎に礼拝を守り、心も体も霊も休ませて、自分が生きている、生かされている意味、生きる方向性を確認することが、とても大切なのです。体だけを休めるのではありません。心も霊も休める。そして神様との交わりの中に憩う。それが必要なのです。私共は放っておけば、すぐに神様のことなんか少しも考えなくなってしまうような者だからです。そして、疲れ果ててしまうのです。
どうして、一週間に一日なのか。それは神様がそのように言われたからですけれど、それには理由があると思います。神様が一月に一度と言ってくださったのであれば、私共は一月に一度礼拝すれば良かったのでしょう。しかし、そのようには神様は言われませんでした。それは、神様は私共を造ってくださった方ですから、神様は私共以上に私共を良く御存知なのです。私共は週に一度神様の御前に集わなければ、神様を忘れ、神様を離れてしまうような者であることを、神様はよく御存知だからです。神様は六日で天地を造られて七日目に休まれましたけれど、神様は六日間働いたので疲れてしまって、それで休まれたのでしょうか。果たして全能の神様が疲れるのでしょうか。神様は御自分のために七日目に休まれたのではなくて、私共のために安息日を定めるために七日目に休まれたのではないでしょうか。神様は、私共には週に一日はそのような日が必要であることを御存知だったのです。
4.安息日にしてはならないこと
さて、今朝与えられております御言葉は、安息日論争と言われる場面です。イエス様とファリサイ派の人々との間で、安息日をめぐる論争がなされたのです。この論争の中でイエス様は、安息日とは何かということを明らかにすると共に、私共の救いの筋道というものを明らかにしてくださいました。
この論争のきっかけとなった出来事は二つです。一つは、イエス様の弟子たちが安息日に麦の穂を食べたという出来事、もう一つは、イエス様が安息日に会堂で片手の萎えた人をいやしたという出来事です。順に見てまいりましょう。
1〜2節「そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、『御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている』と言った。」とあります。安息日に麦畑を通る時に、イエス様の弟子たちが麦の穂を摘んで食べた。これは80歳以上くらいの方の中には経験があるかもしれません。今のように食べ物が豊かではなかった時代、学校の行き帰りなどで麦畑の横を通る時に、麦の穂をシュッと取る。それを手で揉んでフーッと吹くと、麦の実が出てくる。それを口に入れてしばらく噛んでいると、ガムのようになる。前任地で、子どもの頃にこれをやっていたという人に話を聞いたことがあります。「おいしいものじゃない。けれど、口に入れば何でもよかった。」そんな風に言っておられました。
イエス様の弟子たちもお腹がすいた。それで、いつものように麦の穂を摘んで食べた。すると、ファリサイ派の人々がこれを見ていて、イエス様に「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている。」そう言って非難したのです。ファリサイ派の人々は、イエス様の一行が何かボロを出すのではないか、ヘマをするのではないかと見張っていたのではないかと思います。ここでファリサイ派の人々は、弟子たちは他人の麦畑の麦を摘んでいるから泥棒だと言って非難しているのではありません。先程、申命記23章25〜26節をお読みしましたが、そこにははっきりと「隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない。」と記されています。これは、貧しい人を守るための規定、憐れみの規定です。では、ファリサイ派の人々は何を非難したのか。それは、弟子たちのしたことが安息日にしてはいけないこと、つまり十戒の第四の戒で言われている「いかなる仕事もしてはならない」に違反していると言って非難したのです。弟子たちの麦の穂を摘むという行為は「収穫」に当たる。また、「脱穀」に当たる。それは十戒違反だと非難したということなのです。ファリサイ派の人々は、十戒で「いかなる仕事もしてはならない」と言われているが、具体的にはどういうことが仕事なのか、それについて39の仕事を定め、更にそれぞれを4つずつ細分化し、156の安息日にしてはならないリストを作っていたのです。そしてそれを厳密に守ることによって、神様の御前に正しい者とされ、救っていただける。そう考えていたのです。
しかし、ここで少し考えてみてください。確かに十戒は「安息日にはいかなる仕事もしてはならない」と言っていますが、どうして神様はこのようなことを定められたのでしょうか。「仕事をせよ」と命じるなら分かります。しかし、「休め」と命じる。「いかなる仕事もするな」と命じる。しかも、安息日に休むのはユダヤ人だけではないのです。「男女の奴隷も、家畜も、寄留する人々も同様」なのです。これはすごいことではないでしょうか。神の民は3000年以上前から、週に一日休むことを生活のリズムとしてきたのです。日本では働き方改革などと言って、政府はちゃんと休むようにと言っていますけれど、なかなか進まない。それは、この休むということに対しての長い文化的な受け取り方の歴史というものが背後にあるのだろうと思います。私自身もそうなのですけれど、日本人の中には休むということに対して、どこか後ろめたい気持ちがある。でもそれは、週に一日休むようにと命じられた神様の御心を知らないからです。
では、この安息日を定められた神様の御心とは何なのか。それは憐れみです。だから、この安息日に休むのは神の民だけではなくて、「家畜も奴隷も寄留する人も」なのです。寄留する人とは、今の言葉で言えば難民です。戦争か、飢饉か、何らかの理由で故郷を離れなければならなくなって、神の民の所に身を寄せていた人たちです。彼らも休まなければならないのだと言う。この根本にあるのは、神様の憐れみです。神様が私共を憐れんでくださって、目の前のやらなければならない仕事から週に一日は解放されて、神様に心を向ける。自分が何者で、どこに向かって歩んでいる者であるかを確かめる。神様の御手の中に休み、神様との交わりの中に安息する。そういう時を与えてくださったということです。この神様の憐れみを心に刻む時、神様の憐れみの中に安息する日。それが安息日なのです。
ところが、ファリサイ派の人々は、「何もしない」という善い行いを一所懸命頑張ってする日にしてしまった。この日は「何もしない」ということが善き業であり、これを破る者は救われない。そういう安息日理解にしてしまったのです。
5.神様の憐れみに生きる
9節以下の、片手の萎えた人を巡っての論争も同じです。安息日には何の仕事もしてはならない。病気を治す、片手の萎えた人をいやすのも仕事だ。だからこれは良くないことだ。それがファリサイ派の人々の主張でした。しかし、そもそも安息日は、神様が私共を憐れんでくださって与えられたものであり、この日私共が為すべきことは、私共を造り、支え、導き、救ってくださった神様の御業、神様の憐れみを覚えて感謝することです。神様の憐れみに応えることです。とするならば、片手の萎えた人をいやすのが良いのか、いやさないのが良いのか、それは明らかでしょう。神様がどちらを喜ばれるのかは明らかです。片手の萎えた人をいやすという憐れみの業を為すことは、安息日にふさわしいことなのです。
イエス様は旧約の二つの話を出して、ファリサイ派の人々に答えました。一つは、ダビデがサウル王に追われてノブという町に逃れた時、空腹になり、食べ物を祭司アヒメレクに請うた。祭司アヒメレクは神様に供えられたパンをダビデと供の者に与えた。神様に供えられたパンは祭司しか食べてはいけないことになっていたけれど、アヒメレクはダビデたちにそのパンを与えました(サムエル記上21章4〜7節)。それは、祭司アヒメレクは、飢えた者に食べ物を与えるという憐れみの業は、律法を与えられた神様の御心と一つであることが分かっていたからです。
もう一つは、神殿にいる祭司は安息日にも仕事をする。当たり前のことです。安息日に人々は神殿に礼拝に行く。そこで犠牲が捧げられます。その犠牲を処理したりするために、祭司たちは安息日の方が忙しい。牧師が主の日に忙しいのと同じです。当然、祭司たちが安息日に仕事をしても、それは律法違反にはならない。神様の憐れみを現し、神様の御業に仕えるためだからです。
イエス様は、安息日の定めが神様の憐れみの現れであり、それ故、神様に心を向け、感謝し、賛美し、この神様の憐れみの心と一つになって互いに憐れみの業に仕える、それが十戒の安息日規定において神様がお示しになったことであり、私共の安息日の過ごし方なのだと告げられたのです。そして、そのことが分かっていれば、わたしの弟子たちをとがめたりはしなかっただろうにと告げられたのです。
6.私共の安息日
では、私共はどのような思いで主の日を迎え、過ごしているでしょうか。主の日は礼拝に行かなければならない。教会に行けば、いつもの日より忙しい。休むどころではない。そんな風に感じておられる人もいるかもしれません。確かに、長老や執事、教会学校教師やオルガニストなどは、主の日のために様々な備えをしなければいけませんし、主の日を休みの日とはとても思えない。そういう人もいるかもしれません。しかし、主の日は休みの日、安息の日です。この休みの中心にあるのは、神様・イエス様との交わりです。イエス様が安息日の主であるとは、そういうことです。ここが忘れられてしまいますと、礼拝は「行かなければならない」、奉仕も「しなければならない」となって、ファリサイ派の人々の、何もしないという善き業を懸命に行って安息日を過ごさなければならないというのと、余り違わないことになってしまいます。
しかし、ここはなかなか難しい所です。主の日の礼拝は守らなければならない。それはそうなのです。しかしそれは、どこまでも喜びの業、感謝の業です。義務とは少し違います。義務というよりも、私は、特権と言うべきではないかと思っています。この主の日の礼拝について、最近の礼拝学では、祝祭、祝いの祭りという面を取り戻そうということがよく言われます。祭りは、誰も行けと言われなくても行きます。楽しいからでしょう。礼拝は楽しい、嬉しい時なのです。祭りが楽しいのは、屋台、夜店が立つから楽しいということもありましょうけれど、主の日の礼拝の楽しさはそのようなところにあるわけではありません。礼拝の楽しさは、イエス様と出会うことによって与えられるものです。神様に造られた本来の自分を取り戻す時だからです。暗い道に光が照らされる時だからです。私共の行くべき所がどこなのかが明らかにされる時だからです。主の日、それは毎週巡ってくる特別な日です。
7.自分の考えを棄てなければ
ファリサイ派の人々にとって安息日は、目に見える最も分かりやすいあり方で、律法を守っているということを示す日でした。イエス様は、ファリサイ派の人々の、善き業をもって神様の救いに与ろうという考えの根本を質しました。そのことによって、14節「ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。」のです。善き業によらず、ただ憐れみによって救われる。神様のこの憐れみの御心の中に憩う。この憐れみの主との交わりの中に生きる。それがイエス様によって私共に与えられた、新しい命の有り様です。しかし、ファリサイ派の人々はそれを受け入れることが出来ませんでした。そんなことを受け入れれば、自分たちが大切にしているものが台無しになる。イエス様の教えは、自分たちが受け継いできた神の民の根本を揺るがし、間違った教えを広めるものとしか思えませんでした。それでイエス様を十字架につけようと相談を始めたのです。
私共は確かに、主の日の礼拝を主の日の度毎に守るのです。それは「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」というイエス様の招きに応えてのことです。イエス様のもとに来る。イエス様の御声を聞き、イエス様を拝み、イエス様を賛美し、イエス様に感謝し、イエス様の体と血とに与るためです。このイエス様との交わりこそ、私共にとって、なくてはならない命の時、あふれるばかりの喜びと平安に満たされる時、永遠の命の祝福に与る時です。この安息日の主はイエス様です。イエス様が主人として、私共を喜びの祝宴に招いてくださっているからです。共々に主の御名を心から喜びほめたたえたいと思います。
[2018年7月15日]
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