1.十字架の死に至るまで従順に
イエス様の十字架への歩みから御言葉を受けております。このイエス様の十字架への歩みにおいて繰り返し明らかにされていることは、弟子たちの弱さと裏切り、そして祭司長・律法学者・長老たちに代表されるユダヤ教の人々の頑なさです。イエス様の十字架への歩みは、この弟子たちの裏切りと、ユダヤ教の指導者たちの、何としてもイエス様を亡き者にしようとする動きの中で、ただイエス様だけが、それらの黒雲を引き裂くように、神様の御心に従い敢然と十字架に向かって歩まれる姿を描いています。イエス様は、流れに身を任せて、何となく十字架にお架かりになったのではないのです。そうではなくて、御自身が十字架にお架かりになることが神様の御心であることを受け止め、敢然とその道を歩まれたのです。そこには徹底して神様に従う、神の御子の姿があります。父なる神様の御心と完全に一つであられる、神の御子の姿です。もちろん、すべての罪人の罪を担って、すべての罪人の裁きを身代わりとしてお受けになる。天地が造られる前から一つであられた父なる神様に裁かれ、捨てられる。それは苦しく、悲しく、恐ろしいことでありました。しかし、それが御心であるが故に、イエス様はそれに従われたのです。フィリピの信徒への手紙2章6~8節「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」と記されている通りであります。今引用いたしましたフィリピの信徒への手紙の文章はキリスト賛歌と呼ばれ、生まれたばかりの初代教会の礼拝の中で、主イエス・キリストをほめたたえるために唱えられた、或いは歌われたものであると考えられております。「死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」これが、キリストの教会において伝えられ、信じられ、私共が受け継いできたイエス様の姿なのです。
福音書が描くイエス様の十字架への歩みは、まさにそのようなイエス様の姿でありますし、また、そのイエス様の姿と対照的である弟子たちやユダヤの指導者たちの姿を記すことによって、私共の罪とはどういうものなのか、私共の姿とはどういうものかということを示しているのです。私共は、イエス様の十字架への歩みを読み進みながら、自らの姿を示されるのです。私共の本当の姿が照らし出される。その私共の姿を照らし出す光の源は、イエス様です。イエス様が敢然と十字架へと歩まれるその姿によって、私共はそのイエス様にどのように向き合っているのかが問われるのです。弟子たち或いはユダヤの指導者たちに現れた罪の姿に、自らの姿を見ざるを得ないのであります。
2.主イエスを捕らえに来た人たち
さて、今朝与えられている御言葉は、イエス様がユダの裏切りによって捕らえられる場面です。この直前が、先週見ましたゲツセマネの祈りの場面でした。その最後のところで、イエス様は弟子たちにこう言われました。41~42節「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」とあります。ここには、十字架に向かって敢然と歩まれるイエス様の姿がはっきり記されております。イエス様は「時が来た。」と言われます。この「時」とは、捕らえられて十字架へと歩む時です。そしてこの「時」は、神様が備え給うた時なのです。イエス様は、神様の御計画の時が来たことを悟り、そして言われたのです。「立て、行こう。」イエス様自らが行かれるのです。イエス様には、裏切ったユダを先頭に自分を捕らえに来る人々が見えていました。逃げようと思えば、いくらでも逃げられたのです。そもそも、いつものようにゲツセマネに来なければ、別の所に行かれたならば、ユダの手引きは空振りになっていたはずなのです。しかし、そうされませんでした。「立て、行こう。」と言われ、自分を捕らえるために近づいてくるユダに向かって、自ら進んで行かれたのです。何故か。それが神様の御心であることを知っておられたからです。
43節「さて、イエス様がまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。」とあります。一体、この時イエス様を捕らえに来た人々は、どれほどの人数だったのでしょうか。イエス様がすんなり捕らえられましたので、特に乱闘騒ぎになることもなく済んでしまいました。ですから何となく、それほど大勢ではなかったのではないか、私は長い間そんな風に思っておりました。聖書には人数は記してありませんので分かりませんけれど、ヨハネによる福音書には、この時「一隊の兵士と千人隊長」が一緒であったことが記されています。もし、この時イエス様が一人で居たのならば、この時捕らえに来る人々は10~20人程度と考えても良いでしょう。しかし、イエス様には11人の弟子たちがいるのです。彼らが、黙ってイエス様を引き渡すとは考えにくいでしょう。イエス様と合わせて12人。これだけの人が抵抗すると考えると、これを捕らえに来る為の人数は最低でも100人、或いは数百人の人を動員するのが常識だろうと思います。イエス様を捕らえに来た人々は、手に手に剣や棒を持っていました。この時、イエス様が何かとんでもない不思議な業をするかもしれない、そんな風にも思っていたかもしれません。ですから、きっと恐る恐る近付いたことでしょう。泰然自若としているイエス様。一方、手に手に剣や棒を持ち、大勢でありながら恐る恐る近づく人たち。
3.ユダの裏切り
その先頭にユダがいました。ユダは、自分が接吻する人がイエス様だと合図を決めておりました。月明かりがあったとはいえ、12人のうちの誰がイエス様であるのか、見分けるのは容易ではなかったからです。この「接吻する」という言葉は、「愛する」とも訳せる「フィレオー」という言葉です。この接吻は愛する者、家族や友人などと交わす挨拶でした。この場合、互いに両手で抱き合って、頬や頭に接吻するわけです。ユダは、いつもと同じように「先生」と言ってイエス様に接吻しました。ユダはこの愛の印である接吻をもってイエス様を裏切ったのです。
この時、イエス様はこのユダの接吻を避けることをされませんでした。イエス様はこれを受けたのです。十字架への歩みを決めておられたイエス様にとって、今更このユダの裏切りの印としての接吻を拒む必要はなかった。そうなのかもしれません。しかし、それ以上に、イエス様にとってはユダはこの時もなお、「先生」と言って接吻してくる弟子の一人だったのではないか。私にはそう思えてならないのです。
他の弟子たちはこの時、皆イエス様を見捨てて逃げてしまった(50節)のです。そして、もう少し後でペトロはイエス様を三回否認するのです。そのような弟子たちをイエス様は見捨てられたでしょうか。そうではなかった。復活されたイエス様は、彼らを再び弟子として召し出し、世界宣教へと遣わしたのです。イエス様は弟子たちを見捨てたりはしていないのです。だったら、ユダもそうだったのではないか。ユダにとっては裏切りの印でしかなかった接吻を、イエス様はいつもと同じように愛の印として受けられたのではないか。私にはそう思えるのです。
イエス様が選ばれた十二弟子の一人のユダが裏切ったというのは、まことに驚くべきことであります。しかしこれは、神様が、イエス様が、何とも先が見えない方だったということを示しているのではないのです。ユダが裏切って、イエス様の十字架の救いが貫徹されたのです。神様の救いの御業は、裏切りによって頓挫するのではなく、それによって貫徹されたのです。いつの時代でも、キリストの教会には裏切りと言えるようなことが起きるのです。しかし、それで教会が無くなってしまうということはなかったし、今もないのです。
このユダの裏切りということから、私は日本の教会が出発した時の一つの事実を思い起こすのです。明治5年、9名の受洗者が与えられ、それ以前に洗礼を受けていた2名と計11名によって、日本最初のプロテスタント教会、日本基督公会(現在の日本基督教会横浜海岸教会)が設立されたわけですが、この11名の信徒の内2名は確実に明治政府からのスパイだったのです。彼らが政府に出したその報告書が残っています。更に1名の本願寺から送られたスパイだったと言われている人もいます。驚くべきことでしょう。しかし、それで日本伝道は頓挫したでしょうか。しなかったのです。神様の救いの御業というものは、人間の裏切りなどいうものによって台無しになるなどいうことはないのです。
4.神に従うか、人を恐れるか
さて、ユダがイエス様に接吻すると、人々はイエス様にわーっと襲いかかり、イエス様を捕らえました。人々が恐れていたような、イエス様からの反撃はありませんでした。ただ、一人だけ、剣を抜いて大祭司の手下に切りつけて片耳を切り落とすということが起きました。ヨハネによる福音書は、それがペトロであったと記しています。そして、耳を切り落とされた人の名はマルコスであったと記しています。また、ルカによる福音書では、イエス様は「やめなさい。もうそれでよい。」と言われ、耳をいやされたと記されています。この剣を抜いた人は、イエス様を守るためというよりも、大勢の人々に囲まれて恐ろしくなって、持っていた剣を振り回したということなのではないでしょうか。しかし、イエス様はそれをやめさせ、まことに静かに捕らえられたのです。
そして言われました。48~49節「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」これは大変な皮肉です。昼間、大勢の人のいる前では、神殿の中では、わたしを捕らえなかった。いつでも出来たのに、そうしなかった。何故だ。それは、あなたたちがやっていることは、昼間には出来ない業、闇の業だからだろう。人前をはばかる業だからだろう。闇に乗じて行っていることが、それを示している。このことについて、14章2節に「彼らは『民衆が騒ぎ出すといけないから、祭りの間はやめておこう。』と言っていた」ことが記されています。イエス様の話を喜んで聞いている群衆を前にしてイエス様を捕らえるのは、群衆を刺激し、騒乱が起きる。それを恐れていたわけです。彼らは、神様に従う業だと思っていたのでしょうけれど、本当のところ、人を恐れていたのです。イエス様は、この「人を恐れるあり方」が本当に神様に従う姿なのか、そう告げておられるのでしょう。
イエス様は静かに捕らえられました。十字架に架けられることを分かった上でです。何故なら、イエス様はそれが神様の御心であることを知っておられたからです。それは、49節最後の「しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」に明確に示されています。この「聖書の言葉」とは、今朝お読みいたしました詩編22編、或いはイザヤ書53章に示されている受難預言の御言葉を指しています。イエス様は、これは聖書の言葉が実現するためだ、つまりこれが神様の御心なのだと告げられたのです。
神様に従うことだと思いつつ人を恐れている、イエス様を捕らえに来た人々。神様に従うことを受け入れて、静かに捕らえられるイエス様。その対比が、ここに鮮やかに示されています。では私共はどうなのか。改めて自らの姿を問われるのです。
5.主イエスを見捨てて逃げた弟子、マルコ
さて、50節にはとても印象深い言葉が記されています。「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。」淡々と聖書は記しておりますけれど、この一節は私共の心にとても深く突き刺さる言葉です。数時間前に、「決してわたしはつまずきません。」とイエス様の前に誓った弟子たちでした。ペトロだけではないのです。皆そう言ったのです。しかし、実際にイエス様が捕らえられる段になると、弟子たちは皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったのです。
この記事を見て、皆さんはどう思われるでしょうか。何とだらしのない弟子たちだと思うでしょうか。私も同じだと思うでしょうか。私ならどうするでしょうか。
ここでマルコによる福音書は、51~52節「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」という一つのエピソードを加えています。これはマルコによる福音書にしか記されておりません。この「一人の若者」は一体誰なのか。名前が記されていないのですから、本当のところは分かりません。しかし、教会の歴史の中で、この若者はこの福音書を記したマルコではないかと言われて来ました。イエス様が捕らえられたこの時、マルコがそこに居合わせたのかどうか分かりません。しかし、これがマルコだと人々は読んできたのです。この福音書を書いたマルコという人は、ペトロが捕らえられた時に大勢の人が集まって祈っていた家の息子です(使徒言行録12章12節)。母親がキリスト者で、彼は二代目でした。そして、バルナバとパウロと共に第一次伝道旅行に行った伝道者でした。しかし、マルコはその第一次伝道旅行の途中で帰ってきてしまったようなのです。パウロの第二次伝道旅行にマルコを連れて行くかどうかで、パウロとバルナバは意見が分かれてしまい、バルナバはマルコを連れて、パウロはシラスを連れて、別々に第二次伝道旅行に行ったことが記されています(使徒言行録15章36~44節)。
マルコは逃げたのです。パウロの伝道旅行は命の危険にさらされるものでした。その伝道旅行で、マルコは逃げたのです。このゲツセマネにおいてイエス様が捕らえられた時、その場に彼がいたのかどうか分かりません。ひょっとすると、イエス様たちが最後の晩餐をしたのが、イエス様を信じていたマルコの母マリアの家だったのかもしれません。そして、マルコはイエス様の後をついていった。そのように想像する人もいます。そうかもしれません。しかし、そうでなかったとしても、マルコはここで、パウロと伝道旅行に行った時に途中で逃げ帰ってしまった自分の姿を、この時イエス様を見捨てて逃げてしまった弟子たちの姿に重ね合わせて、ここに書き込んだのではないか。私にはそう思えてならないのです。マルコもまた、自分はイエス様を見捨ててしまった者だ、そのことを本当に知ったから、福音を告げる伝道者になれたし、その福音に基づいて福音書を記すことが出来たのだろうと思うのです。
6.主イエスの福音
イエス様の十字架への歩みにおいて、弟子たちの弱さ、情けなさ、不信仰、裏切りが次々と記されております。それは、本当にそうであったということだけではなくて、それが福音の本質を明確に告げるものだからなのでありましょう。
福音とは、どこまでもついて行きますと言っていたのに、いざという時にイエス様を見捨てて逃げてしまう、その弟子たちをなおも赦し、愛し、用い給う神の愛なのです。イエス様の十字架は、この自分を見捨てた者の罪を担い、その者に罪の赦しを与えるものなのです。その愛の徹底性は、手に手に剣や棒を持ってイエス様を捕らえに来た人々にも及んでいます。私は、この時イエス様を捕らえに来た者の中からもキリスト者が生まれたのではないかと思っています。ただイエス様を我が主、我が神と信じて受け入れる。イエス様を愛し、従う。しかし、信じ切れない。愛し切れない。従い切れない。その通りです。そのような私が、なおも赦され、愛され、生かされているのです。それが福音です。ですから何度でも、イエス様が歩まれたように、御心によって生きる道へと新しく歩み出していくのです。福音は私共を、あきらめない者へと導き続けるのです。イエス様が、神様が私共を捉えて離さないからです。
[2015年8月16日]
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