1.主イエスに救われた者は変わる
主イエス・キリストと出会い、主イエス・キリストを信じ、主イエス・キリストの福音によって救われた者は、その福音にふさわしく生きようと願います。ですから、救われる前と後で、何も変わらないということはあり得ないのです。これは、そんなに難しいことを言っているのではありません。主イエスを信じるということは主イエスを愛するということですし、それはどうしたって私共の生活を、私共の人生を変えてしまうことになるからです。それは、結婚にたとえることが出来るかと思います。結婚する前と後で、その人の仕事とか人柄とかはそう変わるものではないでしょうけれど、その人の生活や人生は全く変わってしまうだろうと思います。一緒に生活する者がいる、愛する者がいるということは、独身の時のような自分勝手な生活は出来ません。主イエスを愛するということも、そういうことでありましょう。主イエスによって救われた者は、神様の御心というものを考えるのであります。そして、それに従いたいと願うのです。
2.伊勢伝道に生きた人たち
週報にありますように、先週、当教会を会場に富山地区の信徒修養会が行われました。伊勢の山田教会、この教会は私共と同じ連合長老会の教会、三重連合長老会に連なる教会ですが、そこの井ノ川勝牧師が来てくださいまして、伊勢伝道の歴史を振り返りながら、喜びをもって教会に生きた何人かの方を紹介してくださいました。私は会場教会の牧師という役得で、前日に講演原稿を読ませていただきました。何度も涙いたしました。私共の教会からは20名の方が出席されましたが、もったいないと思いました。もっともっとたくさんの方に聞いていただきたかった。山田教会があります所は、ある年齢以上の日本人ならすべての人が知っている町、そして若い方は全く知らない町、宇治山田という町にある教会です。宇治山田、それは伊勢神宮のある町です。伊勢神宮は内宮と外宮があるのですが、内宮のあるのが宇治町、外宮のあるのが山田町です。山田教会は、礼拝堂の外に出れば鳥居が見えるくらい、外宮のすぐ近くにあるのです。明治以来、この町にもキリストの教会が建ち続けているのです。明治以来の日本の歴史における伊勢神宮の位置を考えるならば、実に驚くべきことではないでしょうか。
北陸にトマス・ウィンがいたように、大阪・和歌山・三重にはA.D.ヘール、J.B.ヘールがおりました。A.D.ヘールは最も伝道が困難と思われる伊勢神宮の町、宇治山田に伝道したいと願いましたが、教会を建てるには至りませんでした。彼は伊勢伝道の入り口として四日市に教会を建てました。1890年のことです。そして、その2年後に中州という伝道者が山田講義所に遣わされました。これが山田教会の始めです。彼は伊勢神宮の神主の家の子でしたが、明治政府による神仏分離政策によって、神仏習合をしていた両部神道を唱える神主であった彼の家は伊勢を追われたのです。彼は函館に移住し、そこでキリストと出会い、キリスト教の伝道者として再び伊勢の地を踏んだのです。私共の惣曲輪講義所に長尾巻が遣わされた3年後のことです。ですから、私共の教会と山田教会はほとんど同じ頃に伝道を開始したのです。山田教会は二代目の福中捨助牧師の時に会堂を建てますが、屋根に十字架を立てることを町の人が許さず、軒瓦に十字架を刻んで、ここにキリスト教会があることを示したのです。そして、富山光慶牧師、富山光一牧師父子で70年牧会されます。富山光慶牧師は名前がお坊さんみたいですが、本当に天台宗のお寺の長男として生まれた人です。A.D.ヘールに出会い、キリスト者となり、伝道者となった人です。そして、ジェシー・ライカー女史。彼女は教育宣教師として遣わされ、山田で幼児教育を始めました。山田教会に併設されている常磐幼稚園を建てました。山田での最初の幼稚園でした。彼女は山田で35年間幼児教育にあたりました。しかし、太平洋戦争が勃発すると、アメリカに強制送還されてしまいます。30歳で日本に来て、68歳でアメリカに強制送還されました。人生の大半を山田での伝道にささげたのです。彼女は山田の地に自分の墓を用意していましたが、そこに入ることは出来ませんでした。彼女は二度と日本の地を踏むことは出来ませんでしたが、戦後一通の手紙が幼稚園に届きました。そこには、「あの戦争中も幼稚園が続けられ、幼い子どもたちの魂のために奉仕が捧げられていたと知らされて、どんなに嬉しかったことでしょう。わたしの常磐幼稚園、わたしの子どもたち。幼稚園の子どもたちはすばらしい存在です。けれども、この幼児たちに神様のことを教え、主イエスの御名を呼ぶに至らせることこそ、最上の道と確信致します。」とあったそうです。この富山において、アームストロング女史も同じ思いであったのだと思いました。
井ノ川先生が紹介してくださった伊勢伝道に尽くされた人たち、ここには沸々とした熱き思いの連鎖があります。この一人一人を貫いている熱きもの、それが信仰なのです。主イエスの愛なのです。主イエスによって救われた者に宿るキリストの命のほとばしりなのです。私は講演のレジュメを読みながら、何度も涙した。その涙は、彼らの中に生きたキリストが、私の中に生きる信仰を呼び覚まし、共鳴するところで流れたものなのだと思うのです。信仰のない人がこの講演を聴いても、涙することはないです。何故なら、彼らを生かし、彼らが生きた同じ愛を知らないからです。そして思いました。この富山の地にも、同じ命に生きた人たちがいて、今、この教会は建っている。私共も、同じキリストの命に生かされている。ありがたいことです。
3.律法によらず、信仰によって
パウロは言います。16節「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」この短い一節に、「律法の実行によってではなく」と三度も繰り返されます。そして、「キリストへの信仰によって義とされる」と二回も繰り返されているのです。ここにはガラテヤの信徒への手紙の中心メッセージが告げられている、そう言って良いと思います。自分たちは、律法を実行することによってではなく、ただキリストを信じる信仰によって義とされた。神様によって義しとされ、神の子、神の僕とされたのです。人は律法を完全に行うことは出来ず、それ故律法の実行によっては誰一人として義とされることはない、救われないのです。しかし、主イエスが私共のために、私共に代わって十字架にお架かりになってくださって、神様がそれで義しとしてくださった。救われたのです。何とありがたいことか。それなのに、どうしてそのことを忘れたかのように、それがなかったかのように振る舞うことが出来るのか。そうパウロは、ペトロに面と向かって告げたのです。
事情はこういうことです。アンティオキアの教会でのことです。この教会は異邦人伝道の中心教会でした。パウロたちを異邦人伝道に遣わしたのもこの教会でした。当然、この教会には異邦人キリスト者が大勢おりました。ユダヤ人キリスト者もいたと思いますが、多数ではなかったと思います。そして、アンティオキアの教会にはパウロやバルナバがおりました。異邦人キリスト者たちはユダヤ人キリスト者たちと一つになって礼拝し、伝道に励んでいたのだと思います。そこに、エルサレムからユダヤ人キリスト者たちが来たのです。彼らは、律法を守らなければ、特に割礼を受けなければ、ユダヤ人にならなければ救われないと考えていた人たちだったと思います。彼らは、主の兄弟ヤコブ、彼自身がどう考えていたかははっきり分かりませんけれど、主の兄弟ヤコブを中心としたグループを作っていたようです。そして、エルサレム教会においては、彼らが力を持っていたのです。使徒の筆頭であるペトロでさえも、彼らの顔色をうかがわねばならない程でした。彼らがアンティオキアの教会に来ると、今まで異邦人キリスト者たちと一緒に食事をしていたケファ、これはペトロのことですが、彼が次第に異邦人キリスト者たちと一緒に食事をする席から身を引き始めたというのです。ユダヤ人たちにとって、異邦人たちと一緒に食事をするということは、考えられないことでした。しかし、ペトロはキリストの福音が何であるかを知っていました。ですから、ペトロはキリスト者の自由の中で、異邦人キリスト者とも一緒に食事をしても平気でしたし、何の問題もなかったのです。ところが、エルサレム教会から彼らが来ると、今まで一緒に食事をしていた席から離れ始め、ユダヤ人たちだけの食事をし始めたというのです。しかも、パウロと一緒に異邦人伝道をしたバルナバさえも、ペトロと同じような行動をとったというのです。どうしてこんなことが起きたのでしょうか。
パウロやバルナバが、割礼を受けていない人と食事をするということは自らも汚れることだと、ユダヤ人と同じように考えていたとは考えられません。だったら、どうしてこんなことをしたのか。私は、単純に面倒を起こしたくないということではなかったかと思います。ユダヤ人キリスト者の中には、律法を守らなければ救われないと考える人が少なからずいたのです。その人たちにしてみれば、異邦人と一緒の食事などもってのほかということになる。エルサレム教会にはそのような人たちが大勢いて、力を持っている。ペトロは割礼を受けた人たちに伝道していく使徒でありましたから、彼らの協力なくして伝道は出来ないわけです。そこで、彼らの手前、異邦人との食事の席から身を引いたということなのだろうと思います。しかし、何と言ってもペトロはキリストの使徒の筆頭でありますから、彼の行動に同調する人たちが出て来るのは当然です。その中にはバルナバさえもいたということなのです。しかしこれでは、異邦人とユダヤ人の間の垣根はキリストによって取り除かれたことにはならず、異邦人は神の民ではない、律法を守らなければ救われないという主張を受け入れたことになってしまいます。しかもこの問題は、既にエルサレム会議において決着していたはずなのです。ペトロの行動は、自らが信じている福音の真理と矛盾していました。パウロはそれを見過ごすことは出来なかったのです。
4.食卓を共にすること
食事を一緒にするかしないかという問題は、私共が現在思うような小さなことではなかったのです。食事を一緒にするということは、私たちは仲間だ、同じ共同体に属する者だということの確認行為だったのです。だから、主イエスが徴税人や罪人と一緒に食事をするということが、ファリサイ人には理解出来ないことでしたし、逆に主イエスというお方がどういう方であるのかということを、もっとも明らかに示した行動でもあったのです。
この時の食事は、聖餐とも関係していたと思います。当時の聖餐は、現在の聖餐式のような形がまだ確立していません。聖餐に引き続いて愛餐が為されていたと考えられています。多分、この愛餐の時に、ペトロたちはユダヤ人たちだけのテーブルを作ったのでしょう。共に一つのキリストの体、キリストの血潮に与りながら、一緒の食事の席に着かない。それでは、キリストの救いとは何なのかということになるでしょう。主イエスを信じ、主イエスの福音によって救われた者は、ユダヤ人も異邦人も関係なく、共に新しい神の民となる。この新しい神の民こそがキリストの教会なのであります。ですから、そこで為される食事は、異邦人もユダヤ人も一つになって為されなければならないものだったのです。そうでなければ、キリストの教会とは何なのか、主イエスの救いとは何なのか、そこで言っていることと生きることが分裂してしまうことになってしまいます。教会にとって何より大切なことは、信じているように生きる、語っているように生きるということです。これが分裂してしまえば、キリスト者もキリストの教会も力を失います。
パウロは、ペトロやバルナバの行為を13節で「見せかけの行い」と言っていますが、口語訳では「偽善の行為」と訳しています。思っていることとやっていることが違う。そう言っているのです。そして、このことこそ「福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていない」(14節)ということなのです。
先程、井ノ川先生がお話しくださった伊勢伝道に生きた人たちのお話をしました。私自身、その話に心が動いた。その人たちに共通している沸々としたキリストへの愛。その姿は、自分を救った福音に従って真っ直ぐに生きたものでした。自分を救ってくださったイエス様を愛し、イエス様と共に、イエス様の御心に従って真っ直ぐに生きた。それが美しいのです。それと同じ道が、御国に向かっての道が、私共にも備えられているのです。
5.伝道によって保持される福音
皆さんの中には、今日の御言葉を読んで、パウロはなんてキツイ人なのだろうと思った人もいるかもしれません。非難しているパウロよりも、非難されているペトロの方に同情してしまうという感覚を私共は持っているのではないかと思います。「和をもって尊し」とする日本人の感覚がそこには働いているのでしょう。しかし、この時パウロが毅然としていてくれたから、福音の真理は曲げられることなく伝わったのです。私も日本人ですから、揉め事は嫌いです。何事もなく、何事もなくと、つい思います。しかし、福音に生きる時、この、人の顔色をうかがう、「何事もなく」ということだけでは道を誤ることがあるということでしょう。ペトロやバルナバでさえそうだったのですから、まして私共はすぐに道を踏み外してしまうのでありましょう。私共にも、パウロのようにはっきりと間違いを指摘してくれる人が必要なのだと思います。
この時パウロがこのように毅然としていられた理由の一つは、彼が伝道していたからだと私は思います。ペトロやバルナバは、パウロの言葉を嫌な思いで聞いたと思いますけれど、やっぱりその通りだと気付いたに違いないと思う。何故なら彼らも伝道者だったからです。伝道している時、私共は自分が語っているように生きているかどうかが、いつも問われるのです。伊勢伝道に生きた人々が美しいのも、伝道していたからです。山田教会の最初の伝道者・中州は神主の家の生まれでした。富山光慶牧師は天台宗のお寺の息子でした。A.D.ヘールやジェシー・ライカーはアメリカ人でした。どのような信仰に生まれ育ったのか、どこの国の人であるのか、それらは私共が救われるためには一切関係ない。ただ主イエス・キリストに対しての信仰によって救われた者が、一つの愛に生き、一つに結ばれた者として、一つの食卓に着くのです。それが教会です。伝道に生きる者、伝道に生きる教会は、自らの姿がこの福音に反していないかどうかを問われるのです。自らの姿を糺されるのです。だから、私共は伝道の歩みにおいてこそ、福音に真っ直ぐ生きることが出来るのです。
週報にありますように、10/23(土)、24(日)と伝道のための特別講演会・伝道礼拝が行われます。チラシもポスターも葉書も出来ました。これを用いてください。一人でも二人でも誘ってください。家族を友人を誘ってください。その営みの中でこそ、私共は福音にのっとって真っ直ぐに歩むことが出来るからです。
[2010年9月26日]
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