1.世界に広がる神の民
主イエス・キリストの十字架と復活は、全ての民を救いへと招くものでした。天地を造られた神様が、天と地に満ちる全てのものを御自分のものとする為の、救いの御業でした。そこには、ユダヤ人も異邦人もありません。民族を超え、文化を超え、全ての人に与えられる神様の救いです。アブラハム以来の神の民が、ユダヤ人という民族の枠を超えて広がり、全ての民が神の民に加えられていかなければなりません。その為に建てられたのがキリストの教会です。
ペンテコステにおいて誕生したキリストの教会は、小さな群れでした。しかし、神様の霊・キリストの霊である聖霊を注がれて、エルサレムにおいて爆発的にその数を増やしていきました。しかし、ステファノの殉教と共に始まった迫害により、キリスト者たちはエルサレムにいられなくなりました。彼らはユダヤとサマリアの地方に散って行きました。しかし、彼らはただ逃げて行っただけではありませんでした。彼らは散らされて行った所で福音を宣べ伝えたのです。そして、そこにもキリストを信じる者が起こされ、キリストの教会が建っていったのです。このユダヤとサマリアの地方にキリスト者たちが散らされることによって、主イエスが昇天される時に告げられた預言、使徒言行録1章8節「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」が成就されることとなったのです。
2.ユダヤ人とサマリヤ人
今朝与えられております御言葉は、そのような動きの中での、フィリポによるサマリア伝道の様が記されております。
フィリポはサマリアの町に逃げました。そして、その町で主イエス・キリストを宣べ伝えたのです。フィリポには、悪霊を追い出したり、いやしを行う賜物が与えられていたようです。町の人々は、フィリポの不思議な業によって多くの人がいやされたので大変喜び、洗礼を受けたのです。
これは、キリスト教会の伝道の歴史において、大変大きな出来事でした。何故なら、この出来事は、主イエスの福音が初めてユダヤ人という枠を超えて広がった時だったからです。実に、当時ユダヤ人たちは、サマリア人たちを汚れた民として大変嫌っておりました。サマリア人こそは、神様の救いから除かれた者と考え、彼らが住んでいる土地に足を踏み入れることさえしなかったのです。どうして、ユダヤ人たちはそれ程までにサマリア人を忌み嫌っていたのか。それには長い歴史的な経緯があったのです。
イスラエルは、元々ヤコブの十二人の息子から始まる十二の部族からなっていました。その十二部族によって、サウル・ダビデ・ソロモンと続く王国が建てられました。B.C.1000年の頃です。しかし、ソロモンの死後、イスラエルの国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれます。そして北イスラエル王国は、B.C.722年にアッシリア帝国によって滅ぼされました。アッシリアは、北イスラエル王国の領土に他の地域の人々をたくさん移り住まわせました。当然、移り住んで来た人々は自分たちの宗教を持ち、自分たちの神を信じていました。そして、長い間に元の北イスラエル王国の人々は、移り住んで来た人々と混じり合い、信仰的にも同化していったのです。南ユダ王国は、北イスラエル王国が滅んだ135年後、B.C.587年にバビロニア帝国によって滅ぼされました。多くの人がバビロンに連れて行かれました。これがバビロン捕囚です。バビロンはペルシャによって滅ぼされ、バビロン捕囚となっていた人々は解放され、エルサレムに戻って来て、神殿を再建し、エルサレムの町を再建していきました。主イエスの時代より500年も前のことです。今ちょうど、聖書を学び祈る会で学んでいるエズラ記、ネヘミヤ記の時代です。このエルサレムを再建した人々の子孫がユダヤ人です。一方、アッシリアに滅ぼされ、他の地域から移り住んだ人々と混血が進み、信仰的にもとてもモーセ以来の律法を守ることとはほど遠い生活をするようになったのがサマリア人なのです。ユダヤ人もサマリア人も、元々はイスラエル十二部族の仲間だったのですが、ユダヤ人、これは南ユダ王国を構成していたユダ族とベニヤミン族ですが、これと他の十部族のサマリア人とは、近親憎悪と申しますか、互いに敵対する関係になってしまっていたのです。バビロン捕囚から戻ったユダヤ人たちがエルサレム神殿を再建する時、サマリア人は援助を申し出ますが、ユダヤ人はそれを断ります。すると、サマリア人は神殿再建を妨害しました。それ以来、この二つの民は互いに反目し合い、敵対し合うことになったのです。
3.サマリヤ人への福音
このサマリアに、フィリポによって、エルサレム以外の所に福音がもたらされました。これは、互いに憎み合い、敵対していた民が、キリストの福音によって和解するという出来事だったのです。そしてそれは、次の異邦人へと広がっていく、その一歩であったのです。今見ましたように、元々一つであった神の民が分裂していた、その神の民が、キリストの教会という新しい神の民によって再び一つになるという出来事でもあったのです。この二つの意味において、このフィリポによるサマリア伝道というのは、大変大きな出来事であったのです。
そしてこれは、実に主イエス・キリストの御心にかなうことだったのです。ヨハネによる福音書4章23節、シカルの井戸での会話「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」と主イエスは言われました。この主イエスの預言の成就がここで起きているといって良いでしょう。又、主イエスはルカによる福音書10章25節以下において、有名な「善いサマリア人のたとえ話」をされました。そこには、「サマリア人も神様の救いに与る」ことに対しての主イエスの先見が現れていると言えるのではないでしょうか。主イエスは、サマリヤ人もまた神様の救いに与るということが、神様の御心に適うことであることを知っておられたのです。
4.魔術師シモン
フィリポが伝道したこのサマリアの町に、シモンという一人の魔術師がおりました。彼も不思議な業をすることが出来た人のようです。サマリアの町の人は、このシモンを「偉大なものといわれる神の力」と言って、心を奪われておりました。
魔術師と言っても、現代の日本人にはあまりピンと来ないかも知れませんが、二千年も前のことです。占いをしたり、呪文を唱えて病気を治したりということが普通に為されていたのです。しかし、先程お読みいたしました申命記には、占いとか霊媒とか呪文とかを厳しく禁止することが記されております。神の民は、周りの民が普通に行っているこれらのことと決別することによって、ただ神様のみに従うということを明確にしておりました。サマリアの町の人々は、ユダヤ人たちが忌み嫌っていたこれらのことも平気で行う程に、聖書から、神様の教えから離れてしまっていたのでしょう。
では、どうして魔術や占いがいけないのか。それはこのシモンの言葉に表れています。18〜19節「シモンは、使徒たちが手を置くことで、”霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。『わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。』」シモンは、聖霊の賜物を金で買えると考えていたのです。ここには、神様に対する畏れはありません。彼が欲しがっていたのは、神様の力であり、不思議な業であり、それを自分で思い通りに使うことが出来るということだったのです。聖霊は神様の霊であり、キリストの霊であり、神様です。ですから私共には、聖霊を自由に使うなどということは出来るはずもありません。私共が聖霊を所有し使うのではなく、私共が聖霊なる神様のものとなり、用いられるのです。シモンは、自分が主人であり、自分が魔術によって奇跡を行うことが出来ると考えていた。あくまでも自分が主人であり、神様とは自分の利益の為に利用する存在でしかなかったのです。金で買うというのはあまりにひどい話ですので、これは話にならないというのは誰でも分かるでしょう。しかし、「この力を手に入れる為に修行させてください。」ということならどうでしょう。それなら良いのではないかと思う人もいるのではないでしょうか。しかし、それも同じなのです。結局求めるのは、自分の為に使うことの出来る不思議な力が欲しいだけなのです。それに対しては、ペトロと同じように「お前の心は神の前に正しくない。悔い改めて、神に祈れ。」と告げるしかありません。
シモンは、キリスト教がエルサレムから世界に向かって出て行った時に最初に出会った、戦わなければならない魔術師でした。しかし、これはシモンという魔術師個人との戦いということではなかったと思います。魔術師シモンを生み出すような宗教土壌、神を信じるのは自分が目に見える利益を得る為という風潮があり、キリストの教会はそれと戦い、福音を伝え、神様の御心に従って、神様と共に歩む民を形成していかなければならないということなのです。現代の日本にも、魔術師シモンのような存在はいくらでもおりますし、占いや病気を治してもらう為に宗教を求めるという風潮は根強いものがあるでしょう。私は、この日本における伝道の最大の障害は、しばしば言われる檀家制というようなものではなくて、自分の利益の為に神様を利用することしか考えない日本人の心、それこそ最大の障害だと思っているのです。何かの宗教を信じる。その見返りとして、神様から目に見える幸をもらう。健康であったり、家内安全、商売繁盛、受験の合格、安産、交通安全、挙げればきりがありません。それを求めることが悪いのではありません。そうではなくて、神様を、それらを得る為の道具としか見ないということなのです。まことに神を畏れ、敬い、愛し、信頼し、神様の御心を行う者として生きる。それが神様に造られた者としての、まっとうな生き方なのです。神様の御支配の中に生きるのです。
魔術師シモンは自分の力を誇りました。しかし、聖霊なる神様に用いられる者は、決して自らを誇りません。自分の力によって為されたのではないということを知っているからです。
5.洗礼を受けることと聖霊を受けること
さて、今朝の御言葉において、少し分かりにくい所があります。16〜17節です。「人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」とあります。サマリアにおいてフィリポは伝道をし、人々に洗礼を授けたわけですが、彼らは洗礼を受けていただけで、聖霊はまだ誰の上にも降っていなかったというのです。そして、ペトロとヨハネがエルサレムからサマリアに行って、洗礼を受けた人々の上に手を置くと、聖霊を受けた。これは一体どういうことでしょうか。洗礼を受けるということと、聖霊を受けるということが、まるで別々のことのように記されているのです。こういう所を読むと、「自分は洗礼は受けているけれど、まだ聖霊は受けていないのではないか。」と不安になる人もいるかもしれません。実際、「水の洗礼」と「聖霊による洗礼」という言い方をして、この二つを分けて教える教会もあるのです。しかし私共は、その様には考えません。水の洗礼と聖霊を受けるということ別の事柄とは考えていません。洗礼を受けたなら、私共はキリストの者となり、キリストの霊である聖霊を受け、父なる神様に向かって「我が父よ」と祈ることが出来る。祈ることが出来るということは、聖霊を受けているという一つの明らかな「しるし」なのです。
私はここで「聖霊を受けた」ということで告げられているのは、「聖霊の賜物を受ける」ということなのだと思います。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと「聖霊を受けた」のを見て、シモンもそれを求めたわけですが、魔術師シモンが求めていたのは「目に見える聖霊の賜物」だったのですから、ここで「聖霊を受けた」ということで意味していることは、「目に見える聖霊の賜物を与えられた」ということなのだと思います。ですから、自分は洗礼は受けているけれども聖霊は受けていないのではないかと不安になることはないのです。
しかし、以上の説明ではまだこの記事が語ろうとしていることを十分に説明しているとは言えません。この記事が語ろうとしたことは、こういうことだと思います。サマリアの町で伝道したのはフィリポです。彼は十二使徒の一人のフィリポではありません。同じ名前ですけれど、ステファノと同じように、使徒言行録の6章で七人選ばれた執事の一人でした。今まで多くの人が洗礼を受けましたが、それは全てエルサレム教会でのことであり子、エルサレムの教会において洗礼を授けていたのは使徒たちだけだったと思います。しかし、使徒たちがいないサマリアにおいて、フィリポが伝道し、洗礼を授けた。このことをエルサレムにいた使徒たちが聞いて、ペトロとヨハネがサマリアにやって来た。そして、洗礼を受けた人々の上に手を置いた。手を置いたというのは、手を置いて祈ったということです。このことによって、フィリポの施した洗礼というものが、エルサレムの教会において為されている洗礼と同じものであることが確認されたということなのだと思うのです。つまり、フィリポの洗礼は、フィリポが個人的に授けたというようなものではなくて、ペトロとヨハネという使徒たちによって認められて、教会が授けたものとされたということなのです。つまりここには、「洗礼というものは教会が授けるものなのである」ということが語られているのだと思うのです。
今、世界中にはたくさんの教会、教派があります。多少の例外はあるにせよ、そこで共通の認識としてあるのは、どこの教会において洗礼を受けても、それが「父と子と聖霊の名による洗礼」でる限り有効であるということです。パウロは、エフェソの信徒への手紙4章4〜5節で、「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ。」と告げていることにも示されています。キリストの教会は、「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」との救いの現実の中、ただ一つの聖霊の働き、聖霊の導きの中で伝道に励んできたのです。
サマリアの町でキリスト者となった人々は、フィリポにつながったのでもなく、ペトロやヨハネにつながったのでもありません。洗礼によってキリストにつながり、キリストの教会につながったのです。新しい神の民とされたのであります。私共もそうです。どの牧師から洗礼を受けようと、どの教会で洗礼を受けようと、それは同じ聖霊なる神様の救いの御業によるものなのです。
6.聖霊なる神さまの救いの御業は継続中
キリストの福音は、ユダヤ人の枠を超えてサマリア人に伝えられ、そして二千年後の今、この日本の富山にまで伝えられてきました。最近しょっちゅう私は言っていますが、今年は日本宣教150年です。ということは、たった151年前、この日本にはただの一人のキリスト者もいなかったのです。たった一人もです。ところが、150年たって、この富山市にも10を超えるキリストの教会があるのです。すごいことではないですか。この神様による救いの御業は、主イエスが再び来られるまで、止むことはありません。私共は、この富山の地で、この使徒言行録に記されている聖霊なる神様の救いの御業の続きをさせていただいているのです。いよいよ大胆に、聖霊なる神様の御業の道具として各々が用いられていきますよう、祈りを合わせたいと思います。
[2009年6月28日]
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