礼拝説教「心を一つにして」サムエル記上 第14章1〜15節 マタイによる福音書 第18章18〜20節 月の終わりの主の日には、旧約聖書サムエル記上からみ言葉に聞いています。先程朗読されたのは、14章の1〜15節ですが、本日は、13章と14章の全体を視野に入れながらお話をしたいと思います。その全体を朗読するのは余りにも長いので、一部を読んでいただいたのです。この13、14章には、イスラエルの最初の王となったサウルの、王としての働きが語られています。13章の1節にこうあります。「サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき云々」。この1節は、前の口語訳聖書ではこうなっていました。「サウルは三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めた」。これはまた全然訳が違っていると驚かれることと思います。実はここの原文は、「サウルはウン歳で王となり、二年間イスラエルを治めた」という文章なのです。「ウン歳」と言ったのは、そこに数字が抜けているからです。それで、後に旧約聖書がギリシャ語に訳された時、それを七十人訳と言って、主イエスの当時にはそれが広まっており、新約聖書にはそれからの引用が多いのですが、その訳が出来た時にここに30という数字が入れられました。口語訳が30歳で王の位につき、と訳しているのはこの七十人訳によるものです。新共同訳は、七十人訳によらず、ヘブライ語の原典のみから訳すという方針によっているので、その30という数字を使うことができず、しかしここに数字がないと文章にならないので、苦肉の策というか、苦しまぎれに、「王となって一年でイスラエル全体の王となり」という珍妙な訳を考え出し、「二年間」という言葉は次の2節と結びつけてこのように訳したのです。ですからここに語られていることは、サウルの支配は最初の一年間はイスラエルの一部にしか及んでいなかったが、二年目からは全イスラエルに及ぶようになった、ということではありません。そうではなくてここの書き方は、この後の列王記において、それぞれの王様の治世が語られる最初に、「何々王は何歳で王位につき、何年治めた」と語られていくのと同じなのです。サムエル記と列王記は同じ人によって、続きものとして書かれています。列王記につながっていく、イスラエルの王たちの列伝がこの13章から始まっていると言うことができるのです。ただ、サウルが何歳で王となったのかは、わからなかったから空欄にされたのか、それとも意図的にけずられたのか、数字抜きの記述になっていたのです。七十人訳は何百年か後に、べつの言い伝えから30という数字をそこに補って意味が通るように訳したのです。 ところで、そうなるとサウル王の治世は二年間だったということになります。けれどもこれは余りにも短かすぎるように思われます。14章47、8節には、サウルの王としての働きがこのようにまとめられています。「サウルはイスラエルに対する王権を握ると、周りのすべての敵、モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、更にはペリシテ人と戦わねばならなかったが、向かうところどこでも勝利を収めた。彼は力を振るい、アマレク人を討ち、略奪者の手からイスラエルを救い出した」。これだけのことをするのに、2年ではとても無理というものです。実際聖書の中には別の証言があります。新約聖書の使徒言行録13章21節には、パウロがイスラエルの歴史を振り返って語っている中に、サウルの治世は40年間だったと語られているのです。そういう言い伝えがあったのでしょう。こちらの方が本当らしく思われるのです。二年間という記述は、サウルが結局神様に見捨てられてしまい、王位を全うできなかった、ということから、彼の治世を過小評価し、次のダビデ王への単なる過渡期と見ようとする傾向からそうなったのかもしれません。しかし、今読んだ14章47、8節の記述からもわかるように、サウルの王としての働きというのは、決して小さいものではありません。彼はかなり有能な王であったと言うべきだろうと思うのです。彼がイスラエルの最初の王になったのは、人々が、外敵との戦いにおいて常に先頭に立ち、民を導く者が欲しいと願ったからでした。少なくともその人々の願いには、サウルは十分に応えたのです。 サウルが王になって先ずしたことが、13章2節に語られています。「イスラエルから三千人をえりすぐった。そのうちの二千人をミクマスとベテルの山地で自らのもとに、他の千人をベニヤミンのギブアでヨナタンのもとに置き、残りの民はそれぞれの天幕に帰らせた」。これは、今日の言葉で言えば常備軍の設置であると言われます。それまでの戦いは、戦いになると民が皆集まってきて、普段は農民だったり職人だったりする人が、にわかに兵隊になって戦うという形でした。その中から三千人をえりすぐったというのは、戦いにおいて優れた者を専ら軍務に服する者として常に手元に置き、訓練を施し、少数精鋭の部隊を作ったということです。サウルはそういう常備軍を造り、彼らを中心に敵と戦ったのです。先程の箇所に、彼は向かうところどこでも勝利を収めたと語られているのは、このような体制によることです。また14章52節に、「サウルの一生を通して、ペリシテ人との激戦が続いた。サウルは勇敢な男、戦士を見れば、皆召し抱えた」とあるのも、サウルの戦いへの意欲とその基本戦略をよく表しています。 さて、13、4章には、サウルのペリシテ人との戦いの様子が語られています。当時イスラエルを常に圧迫し、脅かしていたのはこのペリシテ人でした。今読んだ52節にもあったように、ペリシテ人こそサウルの戦いの主要な相手だったのです。サウルとペリシテ人との戦いがどのようにして始まったかが、13章3節以下に語られています。戦端を開いたのは、サウルの息子ヨナタンでした。サウルは三千の軍勢の内二千を自分のもとに、千をヨナタンのもとに配置していたのです。ヨナタンがその手勢を率いて、ゲバという所のペリシテの守備隊を襲撃し、打ち破りました。そのことがペリシテ人たちに伝わり、彼らは全軍をもってイスラエルをたたきのめそうと集結しました。5節にその陣容が語られています。戦車三万、騎兵六千、兵士は海辺の砂のように多かったのです。それに対してサウルも全イスラエルに召集をかけましたが、本当に戦力になるのはあの三千人のみです。まさに多勢に無勢の状況でした。それに加えて、イスラエルにはまともな武器がなかったということが13章19節以下に語られています。「さて、イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブライ人に剣や槍を作らせてはいけないとペリシテ人が考えたからである。それで、イスラエルの人が鋤や鍬や斧や鎌を研いでもらうためには、ペリシテ人のところへ下るほかなかった。鋤や鍬や三つまたの矛や斧の研ぎ料、突き棒の修理料は一ピムであった。こういうわけで、戦いの日にも、サウルとヨナタンの指揮下の兵士はだれも剣や槍を手にしていなかった。持っているのはサウルとその子ヨナタンだけであった」。ペリシテ人はこのようにイスラエルを弱体化させる政策をとっていたのです。まともな武器も持たないイスラエル軍は、とうていペリシテ軍に太刀打ちできるようなものではないのです。それゆえに、13章6節以下、「イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。ヨルダン川を渡り、ガドやギレアドの地に逃げ延びたヘブライ人もあった。しかし、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、サウルの後ろでおののいていた」。これがイスラエルの人々の現状だったのです。 そのような状況の中で、しかしイスラエルは勝利を得ます。その勝利をもたらしたのは、やはりヨナタンでした。そのことが、先程読まれた14章1節以下に語られているのです。ヨナタンは、武器を持つ従卒と二人で、そっと陣営を抜け出し、川を渡ってペリシテの先陣に向かって行きました。川のこちら側も向こう側も切り立った崖になっていたようです。ヨナタンは敵の先陣を見上げつつ、従卒にこう言いました。6節「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。それに対して従卒は「あなたの思いどおりになさってください。行きましょう。わたしはあなたと一心同体です」と答えました。「主が我々のために計らってくださるにちがいない」。彼らの支えはただそのことのみでした。そして彼らは、主がこの敵を自分たちに渡してくださる、つまり勝利を与えてくださることのしるしを、一つのことによって得ようとします。彼らが敵陣の前に姿を現した時、敵が「俺たちがそこへ行ってやっつけてやる」と言うなら、それは主がこの敵を渡して下さるのではない、反対に、「来れるものならここまで登って来い」と言うなら、それは主が勝利を与えて下さるしるしだ、ということです。この二つのことは、どちらになるか確率は五分五分、というようなことではありません。高い所にある陣地にいる兵が、二人だけ出てきた敵に対して、わざわざ降りてきて戦いを挑むことは考えにくいのです。むしろ、「ここまで登って来れるものなら来てみろ」と挑発して迎え撃つ方が利口なやり方です。それが戦いのセオリーというものでしょう。つまりヨナタンたちは、敵がセオリー通りにするならば、それこそが主が勝利を与えて下さるしるしだ、と信じたのです。そしてまさにその通りになりました。ペリシテ人たちは「登って来い。思い知らせてやろう」と言いました。ヨナタンは従卒に「わたしに続いて登って来い。主が彼らをイスラエルの手に渡してくださるのだ」と言うと、13節「ヨナタンは両手両足でよじ登り、従卒も後に続いた。ペリシテ人たちはヨナタンの前に倒れた。彼に続く従卒がとどめを刺した」。両手両足を使ってよじ登っていかなければならないような体制から、どうして勝利することができたのか、全くわかりません。しかし彼らは陣地にいた20人のペリシテ人を討ち取ったのです。それはまさに主なる神様が与えて下さった勝利でした。そしてこのヨナタンの勝利によって、ペリシテの陣営に恐怖と動揺が広まり、彼らは浮き足立ったのです。サウルはその敵の動揺を見て、一気に攻め込みました。20節以下「彼と彼の指揮下の兵士全員は一団となって戦場に出て行った。そこでは、剣を持った敵が同士討ちをし、大混乱に陥っていた。それまでペリシテ側につき、彼らと共に上って来て陣営に加わっていたヘブライ人も転じて、サウルやヨナタンについているイスラエル軍に加わった。また、エフライムの山地に身を隠していたイスラエルの兵士も皆、ペリシテ軍が逃げ始めたと聞くと、戦いに加わり、ペリシテ軍を追った。こうして主はこの日、イスラエルを救われた。戦場はベト・アベンの向こうに移った」。「こうして主はこの日、イスラエルを救われた」。まさにイスラエルは、圧倒的な劣勢の中で、主なる神様によって勝利を与えられたのです。その糸口となったのが、ヨナタンとその従卒の二人による、常識的には無謀とも言うべき攻撃だったのです。 彼らがこの攻撃に向かおうとする時の言葉、6節をもう一度振り返ってみたいと思います。「主が我々二人のために計らってくださるにちがいない」。ここは、口語訳聖書では「主がわれわれのために何か行われるであろう」となっていました。単純に訳せば、「主が我々のために行動されるだろう」ということです。主なる神様が行動し、み業を行って下さる、彼らはそのことに寄り頼んで出陣したのです。そしてその信頼が、次の言葉に示し語られています。「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。ここも、口語訳を合わせて読んでおきましょう。「多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもないからである」。こちらの方が原文の直訳に近いのです。つまり原文には、「救う」という言葉があるのです。「主にとっては、救うのに何の妨げにもならない、多数によってだろうと、少数によってだろうと」という感じです。主が行動して下さる、それは、イスラエルを救って下さることです。主がそのことをなさるのに、どちらが多数か少数か、兵力はどちらが多いか少ないか、というようなことは全く関係がない、主が救おうと決意して下さるならば、たとえイスラエルはどんなに少数でも、敵の数がどんなに圧倒的に多くても、そのことは必ず実現するのだ、とヨナタンは言ったのです。そして主なる神様がそのように決意して下さることを彼は確信しています。「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう」という言葉にそれが現れています。彼らペリシテ人は無割礼の民です。それに対してイスラエルは割礼を受けている民、ということは、神様がただその恵みによって、ご自分のものとして下さった、「あなたがたは私の民だ」と宣言して下さった者たちなのです。私たちは神の民とされている、それゆえに主は必ず私たちを救って下さる、私たちのためのみ業を行って下さる、そういう信頼によって彼らは出陣したのです。そして神様はまさにこの彼らの信頼に応えて、御自ら働き、勝利を与え、イスラエルを救って下さったのです。 ヨナタンとその従卒とのこの神様への信頼、信仰、そして神様がそれに応えて下さったことがこの14章のポイントです。そしてそのことを見つめる時に、13章に語られている、それとは反対の人間の姿が浮き彫りになって来ます。それは13章8節以下のサウルの姿です。彼は、先程見たように、圧倒的に優勢なペリシテ軍の前に陣をしき、戦いに備えていました。彼に従う兵たちは、7節にあったように、彼の後ろでおののいていたのです。こういう状況の中で、主なる神様に寄り頼み、神様の祝福を受けて戦わなければ、とうてい勝ち目はない、ということは、サウルもわかっていました。彼はそのために、主なる神様に「焼き尽くす献げ物」をささげようとしたのです。それをすることができるのは、最後の士師であり、神様とイスラエルの民の間の仲立ちをする者として立てられているサムエルです。サウルが王になったのも、このサムエルを通して与えられた神様のみ心によることだったのです。サウルはサムエルを招きました。サムエルは「私が到着するまで、七日間待て」と伝えて来ました。しかしその七日が経っても、サムエルは到着しなかったのです。そのように何もせずにただ待っている間に、兵士たちの動揺、恐れはさらに広がっていきました。そして8節の終わりにあるように、「兵はサウルのもとから散り始めた」。持ち場を捨てて逃げ出す者が出始めたのです。このままではイスラエル軍は戦う前に崩壊してしまう。あせったサウルは、自分で、焼き尽くす献げ物をささげました。我々イスラエル軍は、主なる神様の軍勢なのだ、神様が我々を祝福し、守って下さるのだ、ということを示して、全軍の士気を高めるためです。その献げ物をささげ終わったところに、サムエルが到着しました。サムエルはサウルに「あなたは何をしたのか」と問いつめます。サウルはこう答えました。「兵士がわたしから離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来てくださらない。しかも、ペリシテ軍はミクマスに集結しているのです。ペリシテ軍がギルガルのわたしに向かって攻め下ろうとしている。それなのに、わたしはまだ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物をささげました」。するとサムエルは厳しくサウルをとがめ、こう言ったのです。「あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ」。サウルの王権はもう続かない、主なる神様はサウルを離れ去り、別の人を王としてお立てになる…、つまりサウルが神様に見捨てられ、王権を全うできないという宣言がなされたのです。それは、サウルがサムエルの指示に従わず、本来自分がするべきでない、戦いに際して焼き尽くす献げ物をささげることを勝手に行なってしまったからなのです。 このことを読む時、私たちはサウルに同情を覚えます。サウルは指示通り七日間待ったのです。サムエルが遅れたのが悪いのではないか。事態は切羽詰まっているのです。兵士たちは動揺し、恐れおののき、脱落し始めています。それを何とかくい止め、陣容を立て直さなければ、戦いにならないのです。そのためには皆を勇気づけ、励まさなければなりません。そういう思いからサウルはやむなく、自分で焼き尽くす献げ物をささげてしまったのです。そのことをとがめるのは余りにも酷ではないか、と思うのです。それが私たちの普通の感覚でしょう。けれどもここで、先程の、14章のヨナタンの姿との対比がものを言ってくるのです。「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」「多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもない」、この思い、この、主なる神様への信頼が、サウルには決定的に欠けています。彼は、兵の数が少なくなってしまったらおしまいだ、と考え、自分で何とかしようとしたのです。「主が我々のために行動して下さる」ことを見つめるのではなくて、自分が行動してしまったのです。そしてそれは、自分たちは割礼を受けた神の民である、主が我々をご自分の民として下さっている、ということを見つめていないということです。そのことを見つめるよりも、自分が王として、自分の力でこの民を導き、救わなければならない、と思っている、それは、普通の場合には王としての責任感があるということですけれども、神様の民であるイスラエルにおいてはそれは、彼が王としての一番大事な条件を失ってしまっているということになるのです。サウルの王としての働きは、先程も見ましたように目覚ましいものがありました。彼は決して無能な王ではなかったのです。それにもかかわらず彼は結局神様に捨てられ、王位を全うできなかった、それは、ご自分の民を救って下さる主なる神様のみ心に信頼することができなかったからなのです。ヨナタンの姿との対比によって、そのことが見えてくるのです。 サウルとヨナタンとを見比べていく時に、もう一つ示されることがあります。ヨナタンがあのような主なる神様への信頼の内に敵陣に討って出ることができたことの背後には、あの従卒の存在があるということです。ヨナタンのあの6節の言葉に対して、従卒が「あなたの思いどおりになさってください。行きましょう。わたしはあなたと一心同体です」と答えています。ヨナタンは、あの神様への信頼、信仰に一人で生きているのではありません。「主が我々二人のために計らってくださるにちがいない」という言葉においても、「我々」が見つめられています。この従卒は彼にとって単なる家来ではありません。「わたしはあなたと一心同体です」、口語訳においては「わたしはあなたと同じ心です」と言う、主なる神様への信頼、信仰を共にする仲間、同志、兄弟です。彼の神様への信頼、信仰は、このような仲間との交わりの中で支えられているのです。このように心を一つにする信仰の仲間と共にあるからこそ、彼はこのような大胆な、信仰の冒険をなすことができたのです。 それに対してサウルはどうだったでしょうか。サウルには、ヨナタンにとってのこの従卒に当たるような人がいません。彼はいつも一人です。ペリシテの大軍と対峙した時も、サムエルの到着を今か今かとしびれをきらして待っている時も、ヨナタンの攻撃によって敵が浮足立ったのを見て総攻撃を開始した時も、彼は一人なのです。もちろん彼は王ですから、彼のまわりには家来たちがいます。そして家来たちは彼に「あなたの目に良いと映ることは何でもなさってください」と言うのです。そのことは、14章の36節と40節に語られています。その言葉は、「あなたの思いどおりになさってください」というあの従卒の言葉と似ているようですが、しかし彼らは、「わたしとあなたは一心同体です、いっしょに行きましょう」とは言いません。彼らはサウルにとって、心を一つにする同志、仲間ではないのです。彼は多くの家来たちの中で、孤独です。その孤独が彼を、主なる神様に信頼し、その救いのみ業を待ち望むのではなく、自分の力で何とかしよう、という思いへと駆り立てていったと言えるのではないでしょうか。これはある意味で大変皮肉なことです。孤独な者、心を一つにする信仰の仲間を持たない者ほど、数が少ないことを恐れるのです。数を頼もうとするのです。それに対して、心を一つにする信仰の仲間と共に生きている者は、「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」という信頼に生きることができるのです。つまり、数を頼む必要がない、数が少ないことを恐れないでいられるのです。私たちが、教会において、信仰の仲間たち、共に主の民である兄弟姉妹との交わりに生きることの大きな恵みがここに示されていると言えるでしょう。私たちは、主イエス・キリストの十字架の死と復活による神様の救いの恵みにあずかり、主イエスを信じる信仰において、洗礼を受け、教会のえだとなります。洗礼は、私たちが、主イエスの十字架の死と復活にあずかり、神様の恵みによって神様の民とされたことのしるしです。そういう意味でそれは旧約聖書の割礼を受け継いだものです。その洗礼を受けた私たちは、「主が我々のために計らってくださる」ことを心を一つにして共に信じる兄弟姉妹と共に生きるのです。本日共に読まれた新約聖書の箇所、マタイによる福音書18章20節に「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」という主イエスのお言葉がありました。私たちは、主イエスの名によって集まる兄弟姉妹の交わりの中に生きます。そこに、主イエス・キリストご自身がいて下さるのです。私たちの信仰は、一人で、信仰の英雄(ヒーロー)となることを目指すものではありません。兄弟姉妹と一つの心になって、神様を礼拝し、その恵みをいただき、神様に仕え従っていくのが私たちの信仰なのです。そこにおいてこそ、「多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては何の妨げもない」という深い信頼の内に生きることができるのです。
牧師 藤 掛 順 一 |